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いま彼女は、深い海の底に膝をついて座っている。 音もなく静かで、ゆっくりと大きな潮の流れを感じながら、彼方の天空を見上げている。水面の下から見える遙かなる空の蒼に憧れながら。 ロイタ電が伝えた「とんがりコーン・ジョッピンカルパッケージ」が店頭で見当たらない、という問い合わせがJPCオフィスに殺到している。8/1に全国的に出荷予定、そしてCMオンエア開始、の予定が一時ストップ状態になっているのは確かだ。事情は関係者のみならず8/4の新聞朝刊の片隅で知ることができる。
農水省は4日、「食品表示問題懇談会遺伝子組み換え食品部会」に、義務表示を含む遺伝子組み換え食品の表示原案を提出した。対象は、厚生省が安全性を確認している大豆、トウモロコシ、ジャガイモ、ナタネ、綿、トマトと、それを原材料とした加工食品で、原案は表示義務のある食品として28品目を列記している。 [ゴッサム新聞 08月04日] 立ち入り検査には、他メーカーへの見せしめを含めてハウス食品の「とんがりコーン」、湖池屋の「ポリンキー」などが遺伝子組み換えコーンの含有確認として引っかかったのだ。法律的には何ら違法ではないのだが、その事情と影に隠された国家単位の思惑について話そう。 まず、その前に遺伝子組み替え技術をめぐる議論についての話を聞いて欲しい。 遺伝子組み換え技術をはじめとするバイオテクノロジーの登場は、発酵や醸造、交配育種等の従来技術と異なり、基礎科学の進展により解明されてきたDNAの構造と機能、すなわち遺伝情報を直接かつ意識的・計画的に利用する点で生物関連技術における大きな画期をなしている。それは当初から、農業生産性を高め、高度な医療技術の助けとなり、環境汚染を除去し、資源・エネルギー問題を解決してくれるなど様々な可能性と希望をもって語られてきた。とくに農業分野への適用は、私たち一人一人が日々の食生活のなかで直接向き合わなければならないものとして高い関心を集めてきた。 しかしながら、当該技術にともなうリスクゆえにこれを否定する立場と、安全性は確認されたとしてこれを推進する立場との間での見解の相違は著しい。最近になって、両者揃ってのシンポジウムの開催や誌上での討論など、一方向的ではない活発な議論の場が提供されるようになったことは評価される。だが、技術そのものの安全性をめぐっては依然として平行線をたどっており、バイオテクノロジーの有用性を具体的に検証する作業も遅れたままとなっている。 バイオテクノロジーはそれ自体としては自然(生命及び生態系)の法則的解明とその意識的適用による人間の制御能力の増大であり、そのかぎりで人類史的な意義を有していると言えよう。だが、それが一つの生産体系として具体的に適用される段になって、当初の期待とはまったくの反対物に転化する場合もあり得るのである。したがって、バイオテクノロジーをどのような目的のために、どのようなシステムのもとで適用するのか−−そうした社会経済的な契機も含めた検証を経てはじめて、私たちはバイオテクノロジーを「自然に対する制御能力=生産力」として社会的に認知することができるのである。 つまりバイオテクノロジーがどのような可能性を私たちに与えてくれるのか、というと 1)-病虫害や環境ストレスに抵抗性をもつ新品種の作出によって、世界人口を養うための食糧増産に寄与する。 3)-投下労働や投入資材にかかる経費を削減する。 1)についての食糧増産は確かに長期的にみれば最重要の課題であるが、現時点において食糧が絶対的に不足しているわけではない。ヤスヨンの故郷、北朝鮮のように、過剰と不足、飽食と飢餓が同居している世界経済のしくみの改善こそが、食糧問題の解決への何よりもの近道である。いま必要なことは、飢餓に苦しむ発展途上国での食糧増産を可能にする農業技術の改良であり、その技術を末端まで普及させる支援システムであり、それを可能にする社会経済的な安定である。 2)の環境保全型農業の必要性も言うまでもない。これまでの環境負荷型農業をシステムの根幹から転換させるような長期的ビジョンをどこまで持ち合わせているのか?という疑問は別にして、だ。 3)の生産者や消費者へのメリットが仮に認められるとして、それでも各種世論調査が示しているように社会的合意形成が遅々として進まないのはなぜなのか。 情報公開の不徹底さに原因があることは間違いない。だが、たんに情報や知識が不足しているから不安を抱いているというだけではない。食糧増産や環境保全といった大目標に堪え得るだけの革新的技術であるのか確信をもちきれないからであり、技術にともなうリスクの回避がどこまで保障されるのか疑念をもっているからでもある。そうした不安は結局、開発研究が一握りの巨大多国籍企業に独占されていること、アメリカや日本の政策が開発推進と規制緩和の方向に偏っていることから生まれている。 遺伝子組み換え作物・食品をめぐって、これを新たな利潤形成の場と位置づける多国籍企業と産業競争力の強化を国家戦略に据える米国政府との合作劇が演じられているのである。 このように社会的合意が得られていない状況にもかかわらず、1996年8月に厚生省の食品衛生調査会が殺虫作用や除草剤に対する耐性の遺伝子を組み込んだ食品(大豆、ナタネ、馬鈴薯、コーンなど)の輸入が認可されている。消費者団体の批判を一斉に浴び、国会でも取り上げられることになったのは当然である。 ここまで読むのが辛かった本嫌いな業界関係者や自分の理解の範疇を越えると40度を超える高熱を発する読者のために、あとは、解りやすく掻い摘んで説明する。 つまりハイテク推進の舞台裏には開発元であるアメリカのバイオ政策(国際競争力を維持向上させて米国の継続的経済発展を図る、ために当時のブッシュ政権が設置したもの)がある。全共闘世代の村上龍とかなら、ただこれだけで、 大切なのは、情報の開示と特許権の放棄だ。近代バイオテクノロジーの開発と適用は、世界の社会経済的、制度的、環境的分野で不均衡をもたらす潜在的要因になりかねない。そして技術の革新が必要ならば、まず誰かがそれを食べなければならないし、自分は食べる立場を引き受けてもいい、という選択も必要である。これは原子力エネルギーに於いても同様である、どちらの立場であってもいいのだ。間違っても、知らず知らずのうちに何も選択しない立場を選択する事、すなわち丸長、だけは親愛なる読者の方々だけには避けて欲しい。 とんがりコーンとジョッピンカルのスポンサー契約は一時暗礁に乗り上げた。 実は昨年夏も「暑い夏こそカレー」とハウス食品とジョッピンカルとの合同キャンペーンを展開しようとしたのだが、運悪く、林真澄カレー事件で売り上げは激減した不幸な前例がある。 私は潔くスポンサー契約の破棄に調印した。 倉庫で店頭出荷を待つ、山積みのジョッピンカルパッケージ、そして全国のTV局CMバンクでオンエアを待つ122本のジョッピンカルバージョンCM、いまでも深い海の底で遙かなる空の蒼に憧れ続ける。 それでも海面に顔を出すことは永遠にない。
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つづく。
PS:その後、ハウス食品では、冠スポンサー契約をジョッピンカルからNBAプロバスケットリーグに変更した。 薔薇十次会の憂鬱インデックスへ この物語は実話を元に、本人たちに無断で多少の根や葉をつけて脚色したものです。 |