言葉を超えた、さらにいえば言葉を思考する生命の存在をも超えた、およそ想像しうるかぎりの無上の快楽の瞬間がそこに横たわっているとしたら、はたしてそれを「言葉」で描写してみようなどと思うだろうか。

サンクチュアリ-かつて僕たちがそこに居た場所

ジョッピンカル・フロント事務所の壁に、一枚の古い写真が貼り付けられている。
遙か昔。僕たちが今よりずっと若く、壊れやすく、それでも怖いもの知らずだった頃のジョッピンカル札幌結成当時の白地のユニフォームを着たメンバーの集合写真だ。

フットボールクラブ、ジョッピンカル札幌は選抜チームである。札幌市内の広告、映像プロダクション所属のメンバー達による自己申告により結成された。登録メンバーは40名(最高時)いまコンスタントに集まるメンバーは15〜16人といったところか。

遙か昔のことを思い出す。
「それをつくれば彼らは来る」三角公園の公衆便所の明かりだけで深夜までボールを蹴った。靴やユニフォームはもちろん、満足なボールも無かった、それでも純粋にボールを追いかけ回わすだけで、楽しかった時代があった。勝敗など二の次だった。

眼が開けていられないくらいの速さで、ジョッピンカル札幌は巨大なクラブチームになった。イタリア製の高級ジャガード透かし織りユニフォームに包まれたメンバー達は今日も全面芝生を敷き詰められた白旗山競技場に、雨風や雪が降れば冷暖房完備の19億円を掛けて建造されたジョッピンドームへ、ポルシェ、BMW、だいぶランクは下がってシトロエン、などの外車で次々と現れる。

何かを見失いはじめた。まるで夜明けの空に消えていく色褪せた星の姿のように。

肥えた豚はやがて資本主義社会に取り込まれる、 例外はない。巨大クラブに成長したジョッピンカル札幌を利用しようとする者達が現れるのに、そう時間は掛からなかった。ゴッサムシティの巨大企業たちは、次々とスポンサーに名乗りをあげた、白い変人、ホクレソ、などのCM出演、「やは!ジョッピンカル」などのTV番組、品切れ続出のレプリカユニフォーム、じょっぴん米オーレ等の便乗商品は後を経たず、チームキャラクターをあしらった「小樽のちっさいの携帯電話ストラップ」が欲しくて中学生が傷害事件を起こしたニュースも記憶に新しい。

そして、堰を切ったように何かが流れ出したのだ。新しいルールで新しいゲームが始まったように、誰にもそれを止める事はできない。

「ヘモグロビン」という新しいサッカーチームが結成された。それがどんなチームなのかは解らない、ただジョッピンカルと同じようにCM・TV業界のCG製作会社、ジュリアジャパンのメンバー達で構成された新しいチームだと聴いた。

ジョッピンカル創設メンバーのひとり、BadDogが、今一度、自分を振り返るために生まれ育った大貧民街を歩いていた時の事だ。街にはドブ川の腐った臭いと麻薬の煙でいっぱいだ。BadDogを見つけた子供達が、わさわさと群がり彼のシャツにしがみつく、俺のシャツが汚れるじゃねぇか、このクソガキ、と一喝してポケットからチョコレートを取り出し、野犬の死骸の横たわる路上に放りなげた。それに群がる子供達の向こうで彼は、こちらを睨み付ける少年の姿を見た。少年が着ていたいかにも粗末な紅いシャツには、「ヘモグロビン」と殴り書きされていた。

同じ頃、同じ業界内のライバルチーム、uhb@トップクリエーションとの試合の日のことだ。誰よりも早く到着した僕にトップクリエーションGK山本@TVマーケットは聴いた。「今年は、もうジョージたちとは試合やったのかい?」答えは宙づりだった。訊き返すこともできず困惑した表情の僕をみた彼は、あわててかぶりを振って言った「まずいこと言っちゃったかなあ」

遠回しな表現は終わりだ。
ヘモグロビンとは、ジョッピンカル札幌の背番号22、ジョージ小泉@スタジオシンクが率いる新チームである。
ジョージ小泉、日系3世。ブラジルの金脈を堀りに幼少の時に家族ごと移住、40時間にもわたる船旅の中で食べたバナナに当たって食中毒で幼い弟と妹が死亡。どん底の生活が始まる。彼が再び、荒んだ生活から這い上がるためには、フットボール、サッカーしかなかった。
チームに参加した学生たちも似たような境遇ばかりの者だ。彼らがブルジョアと対等に闘うにはサッカーしかない。ジョージ小泉は言う、「俺達は、何回もユニフォームを買ったり、光成@フラッグのように1年に4回もスパイクを買い換えたりなんかできない。」
ジョッピンカルが、午後から夕方にかけて芝生のグラウンドを高い料金で借り切って試合ばかり行っているころ、ヘモグロビンは昼間の仕事を終え、夜学を終えたあと深夜の手稲下水処理場の脇のグラウンドに集まる、無料だからだ。下水の臭いと照明設備も無いグラウンドで彼らは基本に沿った正しい練習を黙々と続ける。ヘモグロビンには満足な道具もない。野球のスパイクや裸足で、一個しかないボールを延々と追いかけている。ゴッサムシティに3階建てのエレベーターつきの住居を構える後藤@モーニングは、せめてちゃんとしたサッカーシューズでも買えよ、と金銭的援助を申し出たが彼らはそれを断固として拒否するだろう。銅線を集めたり血を売ったりするだけでなく、盗みやかっぱらいもしたかもしれない、でも、ようやくユニフォームが揃った。ジョッピンカルのイタリアンブルーに対して、ヘモグロビンは熱き血の色、赤。橋の下に住むドヤ街の人たちの希望の色だ。ジョージ小泉は、火葬場の煙突から登る灰色の煙を見ながら語る、いつか、この真紅のユニフォームを着て、ここに住むすべての人達を連れて、この泪橋を逆に渡ってやる、と。

ジョージ小泉、もう一度、僕はその名前を口にしてみる。私、榎木津礼二郎が、かつての名門クラブ・アドビデオ北海道に入団した時の先輩である。その当時のアドビデオは、中村卓三という性格には難があるが天才的なスター選手を抱え、まさに黄金時代を迎えようとしていた。しかし陰でチームを支えていたのは実際はジョージ小泉であったことはジャーナリストの間では周知の事実だ。僕は彼からアマチュア時代のプレイが通用しないことを知らされ、そしてフットボールに必要なすべてを教えられた。そして共に血を流しながら闘った。

やがて闘う日は訪れる。
僕は一体、誰と闘うのだろう。考えるだけでなく実際に口に出して自分自身に問いかける「それは誰だ?」と。でもそれは無意味な質問だ。問いかけるまでもなく、答えは初めからわかっている。ヘモグロビン、それはかつての僕の姿のはずだ。

ジョッピンカルから何人のメンバーが流れたのかは正確に解らない、しかし今後も流出は増えていくだろう、そのほうがまともだからだ。現状に満足し、変革を求めず、試合に参加しなくても、メンバーに加わっているだけで安心している、という考えでジョッピンカルに留まり続けることは、実際には何ひとつとして選択していない立場をとることと同じ、すなわち丸長だ。
練習なんかより興業として儲かるから、と金のネックレスや指輪をじゃらじゃらつけたままで、試合ばかり繰り返すジョッピンカルを維持し続けることに、この先、どれだけの意味があるというのか。

でも、僕は闘うだろう。かつての師と友と仲間と。そして完膚無きまでに叩きのめさなければならない。
かつて僕たちが在った場所、そして架空の聖域を、いま叩き壊さなければならない。そんなものは最初からどこにも存在しなかったのだ。

僕は壁に留められた写真にそっと手を伸ばす。指は何にも触れなかった。それはいつも指先のほんの少し先に在った。

 

つづく。
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この物語は実話を元に、本人たちに無断で多少の根や葉をつけて脚色したものです。