2002.4.10(058号)
『サッカーそのものは存在しない。存在するものはサッカーに関わる人だけだ』

いきまっしょい!
2002年、ジョッピンカルC・I 変更宣言。

ぶえのすたるです!
ナンダー休刊のお知らせを受けての沢山のねぎらいメッセージ、ぐらしゃす。
廃刊を残念に思っている人も多かったようだが、連載中止にするとは言ってない。
かつて、福岡ブルックスがアビスパ福岡に変わったように、タイトルを代えれば済む話だ。
幸いにもこの共同通信、ナンダーというタイトルでなければ成立しないような薄っぺらい中身ではない。
木を見ず森を見れ。

とはいえ、新タイトルについてあまり悩んで更新を遅らせるのも本末転倒だ。
ここは、暫定的に「文藝春秋未公認 ナンダー」から「北海道新聞社未公認 月刊ジョッピンカル」にしようとしたのだが、それってちょっとスケールダウンではないのか?と激しく罵倒されまくった。
おーけー、ここはやはりもっと地域や国やフットボールをも越えたワールドワイドな視点が必要だ。
風車に向かって突っ込んでいく大胆さと、ぐるぐる回りすぎてバターになってしまうような柔軟さが必要だ。
よって新タイトルは、じょっぴん共同通信 − ジョッピン・ジャック・フラッシュ。
でかいな、スケールが。マラドーナもクライフもストーンズにはかなうまい。げすげすげーす、だ。
もし、仮にストーンズ本家から申し立てを受けようものなら、その時はついでに、イントロはオープンE、オープンGのどっちで弾いてるのか教えて欲しいもんだ。

さあ、フットボールの話をしよう。

今日は重大なお知らせがある。
ジョッピンカルのC・I (コーポレーション・アイデンティティ、企業イメージ確立戦略)変更だ。

先のジョッピンカル・アウォーズで発表したように、2002年度より、ジョッピンカル札幌、新札幌等の表記を捨て「ジョッピンカルFC」へと統合する。

主な理由は、本家ジョッピンカル札幌、ジョッピンカル新札幌(フル代表)、ジョッピンカル1969、ジョッピンカルU-23、11人祭りジョッピンカルV6、企画ものじょっぴんテラFC等、モー娘。並の展開で収拾がつかなくなってきたことと、嘘、大げさ、まぎらわしい、とJAROに引っかかった為だ。
考えてもみたまえ。仮に君が他の草サッカーチームで、このwebで充分に弱さを確認してブッキングしたものの、試合当日やってきたのが新札幌(フル代表)とかU-23だったとしたら?
もし、うちが出張ヘルスなら許されないことである。

ジョッピンカルFCへの統合に合わせて、若干のwebコンテンツも修正した。
例えば、これまで登録選手紹介ページには、創設メンバー本家ジョッピンカル札幌のメンバーしか掲載されていなかったが、試合当日にあそこに載っているメンバーが来ることはない。むしろ来ない人リストみたいなもんだ。全面改訂の必要があった。
もう一度、言おう。写真と全然、違う人が来る、デリ・ヘルなら許されないことだ。

だからといって、本家ジョッピンカル札幌が消滅するわけではない。
今でも、あのメンバーと対戦したいというオファーが後を絶たないでいる。
単独興業は定員割れの為、困難であっても、ああいうチームは必要なのだ。
理由は昨年一年を振り返ると自ずから明白になってくる。

来る者拒まない札幌の唯一のチームとして、コンサドーレ札幌を大きく越える登録選手のジョッピンカルだが、昨年度を振り返れば、同時にいくつかの弊害をもたらした。

なんといっても理不尽に強くなりすぎた。
これは決してチームとしての戦術が充実してきたわけでなく、単純に経験豊かな若い選手が増えた事による。
対戦相手にとっては芳しくない事かもしれないが、うちにとっては喜ばしいことである。
私は素人だらけの 本家ジョッピンカル札幌現役時代、数々の苦渋を舐めてよく解っているのだが、ボールをキープできる人がチームに存在しないとまったくゲームに参加できない。フォワードなんかで出場した時は一度もボールに触れられない時もあった。
今では心優しい若者が黙って立っていれば正確なクロスを当てて、得点に絡ませてくれる。(ビリヤードを想像して欲しい)
お気づきになった輩がいるかどうか解らないが、実は今回のサイトリニューアルで、これまでタイトルにつけていた「札幌激弱草サッカーチーム」のタイトルから「激弱」の二文字を削除した。フル代表は結構、強い(当社比)

ただし、経験者若者プレーヤーと未経験者親父プレーヤーの間にある二つの民族の壁は、このまま放置できない。
たとえば、ベンチなどで自然と、経験者若者プレーヤーグループと未経験者親父プレーヤーグループに分かれている姿を私は見逃していない。旧ユーゴスラビアのセルビア人とバスク人のようなものである。
No3:アベジのような離婚経験も豊富で人生で苦渋を舐め続けてきた選手なら、ふたつの国境を器用に行き来できるように、それぞれのメンバーの人間的成長を期待する。

次に参加人数が増えたことによる、選手一人あたりの出場時間の低減である。
ジョッピンカルの予算は、大抵の草チームが採用している年会費制度を採用していない。
年会費徴収制度は利点はあっても、メンバーのふるい分けがおこってしまうからだ。誰でも気が向いたときに参加できるように、参加したとき払いの500円のカンパシステムを続けている。
その日、集まってくれたメンバーが同じ金額のカンパをしてくれているのであれば、果たして、みんな同じくらいにサッカーを楽しんでくれているだろうか?これがジョッピンカルフロントの主たるベンチワークというものである。

とりいそぎ、上記の問題の解決にあたり、2002シーズン、ジョッピンカル1969の改革から始める。

ジョッピンカル1969は、生年月日が1969年以前の選手だけで構成された親父優先チームである。
しかし、ここには致命的な欠陥があった。
メンバーが30歳以上とかでなく、生年月日固定のため、このままじゃあ、ただ古くなってしまうだけなのだ。すなわち、2009シーズンには自然と40代のチームなってしまう。

考えたあげくにこの欠陥は修正しないことにした。
それどころか、これまでは3人までのアンダーエイジ枠を適用していたが、今期から完全1969オンリーで望もうと思う。
そういうチームが必要なのだ。本家ジョッピンカル札幌と統合した、激弱親父チームが新生ジョッピンカル1969である。

思えば、ジョッピンカル創設時のライバルチーム、元、大同ほくさんソフテックTERRA FCGWSボンバー、ホームレス等、それぞれチームは若返り、創設メンバーたちの出場機会はめっきり減ってしまった。寿命で死んだか、のたれ死かもしれない。
先日の恒例、つどーむストーンマッチのスタメンを見たまえ。3年連続で先発起用されたのは、GKベテラン相川しかいない。しかも当日、相川さんは寝坊して結局、来なかった。さすがベテラン。
そういう人たちが、もう一度、フィールドに帰ってこれるように、対戦相手としてのジョッピンカル1969は存在し続けるのだ。
今年もロメオカップを始め、インターポンチ、コンフィギュ杯と今年もいくつかの大会が予定されているが、ひとつくらいは30歳以上の大会も考えたい。

現在のジョッピンカルが理不尽に強くなったからか、ライバルチームからの私の現役復帰要請が後を絶たない。現役を退いた親父プレーヤーたちに勇気を与えるために今期は手始めに、私もそこそこ積極的に現役復帰する所存だ。
まさに無料開放だ。手加減しろよな。頼む。

以上のように、今期は1969を境にふたつのチームでスタートしようと思う。
どちらも対戦オファーが殺到するような愛されるチームを目指して欲しい。
ただ弱ければ喜ばれるわけではない、ジョッピンカルとの対戦は楽しいと思っていただくことが重要だ。
ジョッピンカルは出張ヘルスでなく、文化的レクリエーション興行団体なのだから。

じょっぴん共同通信

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