ジョッピン正規登録主力メンバー


No.

登録名
身長/体重

2002年 7月 31日 (水) 版。
おともだちを覚えよう!
おそらく、みんな初めて知る実名つき。ここに載っていないメンバーも沢山、ジョッピンカルの興行に参加してくれましたが、抜粋として背番号登録(おニャンコ倶楽部でいうところの会員番号みたいなもの)したメンバーを中心に紹介します。創設者たち、伝説の本家メンバーは別ページです。

初期メンバー


15

エビラ
170/70

99年8月、滋賀県リーグよりばりばりの関西弁で来日。ちなみに嫁もベキベキの関西弁。低い重心からなる抜群のボールキープ力とコントロール、東急ストアから盗んだカゴに詰めてくる、スナック菓子に対する異様な執着は文句無しのチームナンバーワン。
2002年4月、惜しまれつつも新潟へ移籍。


7

つぶやき
184/85

榎木津のご子息が通っていらっしゃるトモエ幼稚園で教鞭を揮う一方、子供達と遊ぶ振りをしてドリブルの練習とかしているらしい。もちろん子供達が催促してもボールは渡さない。恵まれた体格でサッカーにとどまらず、スポーツ全般となっちを愛す。父兄からはロリコンと罵倒されている。


9

ソウ
175/65

チーム立ち上がりを支えた不動のセンターフォワード。ジョッピンカルのワンダーオーウェン。2000年シーズンのじょっぴんグループ総合得点王。もしサカつくで出てきたら即買い。
2001年、アメリカ、ミネソタ州 SAINT MARY'S UNIVERSITYへレンタル移籍。しかし海外組招集がかかった試合には、3ヶ月ある夏休みを利用して凱旋帰国する。


11

キン
181/72

ソウと共に初年度を支えたジョッピンカルのベルカンプ。懐の深さとボールキープ力は対戦相手を呆れさせる。
フェルナンデス監督来日時に唯一、絶賛された選手。ただしコンサ時代の鳥居塚、村主、現ベルディの石塚、とフェルナンデスに見そめられて幸せな晩年を過ごした選手は居ない。最近は北大生の本分であるアルバイトや留年を賭けた降格争いに精を出してあまり来れない。


10

マサ
176/78

ジョッピンカルの10番は代々、一番運のいい選手に与えられる。ゴール前のこぼれ玉を押し込む運のいいポジショニングは、ウイニングイレブンじこみ。チーム初試合のGWSボンバー戦で、チーム初ゴールをあげたことから、ジョッピンカルのマイヤーと呼ばれる。自らを伝説を産む男と称するが、伝説は一試合一度だけ。


2

サトシ
172/71

シバタとは幼年期から出席番号も並ぶ永遠のライバル。縦への突破とそのスピードからジョッピンカルのマハダビキアと呼ばれる。しかしボールより自分の体力をコントロールできないため、しばしはタッチラインにへたり込む。夏期だけ営業するジョッピンカルのサロン、シオミ・ガーデンプレイスを営む。WEの名手。


0

ジャンルカ
170/67

創和建築設計事務所を営むかたわら、サッカーの魅力にとりつかれた最年長(クライフとどんぱ。孫もいる)選手。No:9ソウ選手の実の父親。ソウがあんまり楽しそうにやってるのを観て、つい入部してしまった。年季の入ったサッカーファンならではのポジショニングで、ボランチを努める。出場参加キャップ数は、チームNo1。


6

トム
175/60

アルバイトでドーレ君の中にも入る、世渡り上手な典型的、北大生。合コンの手配で先輩諸兄メンバーの期待と願いを一手に引き受ける。家庭教師を引き受ける女子サッカーチームとのブッキング采配も期待。初年度の中心メンバーであったが2001年、肩の脱臼手術により復帰が遅れている。デビュー戦で大事なPKを外したことで、実はフロント内でしばらく「PK」という名前で呼ばれていた。

二期メンバー


16

ノリック
178/75

1999年、コンサドーレとジャンプが観たくて函館から来日。東京航空局丘珠空港事務所勤務の空飛ぶ日本人。丘珠空港横つどーむグラウンド等で火を焚こうものなら怒られる。背番号16は馬場信者のため、パンツは後ろ前、ソックスはロシニオールでやって来ることもあるおしゃれさん。2000年度ジョッピンカル・アウォーズ最優秀選手(もっとも素人に授与される)


18

ファントム
179/69

室蘭からドリブルで来た男。ロメオカップ2000の得点王。最も正しいFW経験者として、FWってのはただ前で待っていればいいわけではないという事を、ジョッピンカルに初めて教えてくれた。建設事務所勤務で現場が多いため土曜日はなかなか参加できなく、ロナウドのように長いトンネルを抜け出せないでいる(ただし工事)


14

ぜるがでぃす(ゼル)
171/70

謎の商社マン。ファンタジスタを目指すも怪我がちなところだけ目指してしまった悪例。ほとんどが自爆テロのような怪我ながら、骨折してもギプスで毎回ベンチ入りする精神的支柱。2001年10月、東京港区六本木へレンタル移籍。ソウと同じく海外組招集の際には、札幌出張にかこつけて参戦もする。


12

ミチヒロ
170/60

北海道穂別高校生時代、よりステップアップしたサッカーの現場に身を置きたいと、札幌社会人チームへの入団を決心したものの間違ってジョッピンカルに来てしまった。現在ではすっかりチームに染まって、これまでストイックに築き上げてきたものと将来を台無しにしてしまった。札幌リーグ5部、北都建材ヒーローズにも籍を置くサッカー大好き不良少年。


77

タケ
172/65

ジョッピンカルのライバルチーム、大地蹴玉団 TERRA FCから突然の移籍。朝昼晩とサッカーをしなければ身体が火照ってしまうという典型的サッカー馬鹿。しかし時折、思い出したようにやる気をなくす。人間的に欠陥は多くてもサッカーにおける技術と強さは中盤でチームを牽引する。これ以降の移籍ブームの火付け役にもなるフィラディルフィアの種馬。


25

トントン
171/73

真ん中のラインならFWからMF、CB、GKまでこなすユーティリティ選手。足技とボールタッチの柔らかさは定評があるが、体力的に三杉君もビックり、しかも、喘息持ち(本人談)おまけに朝、弱い。好不調のはっきりしたファンタジスタプレーヤー。ライバルチーム、大地蹴玉団 TERRA FCの巨漢冷蔵庫くんと偶然に同じ職場だった事が試合中判明した(気づけよ、会社で)

三期メンバー


32

フクイ
172/67

1999年大阪FCより来日。年齢の割に豊富な運動量でジョッピンカルの老いた森島と呼ばれる。学生時代からの経験者ではないものの(バスケ部)チーム唯一のGK経験者であることから、ゴールキーパーをすることもある。もし対戦で彼がゴールマウスを守っていたら、その時はジョッピンカルが勝ちを狙いにいったときである。したがって、ほとんど無い。


23

モモンガ改
165/62

当初「モモンガ」という登録名で入団。直後、本人が恥ずかしくなったらしく本名をもじった「ツボ」に変更を依頼したが、フロントに激しく抗議され、再びモモンガに改訂。よって彼のユニの背ネームにはいまでも「MOMONGA改」の烙印を背負わされることになったのだ。サッカー未経験者(バスケ出身)ではあるが運動量で前から後ろまでそつなくこなせる。


3

アベジ
175/67

見栄県出身の陶芸家。かつて本家ジョッピンカル札幌をこてんぱんにしたゴイスFCのキャプテン。初年度から勝手に参加していたが、不良在庫ユニを買わされ正規登録。草サッカーの世界では珍しい、DF志望の選手でもある。誰よりも熱いキャプテンシーと、それをはるかに越える薄い人望で、現在では誰よりも古株のように振る舞うチームのマイト・ガイ。
いつか、No:70リョータのカマを掘りたいと公言してはばからない、自他共に認めるハードゲイ。

四期メンバー


28

ケイト
182/68

彼もまた、所属チームの活動が少ないため入部を希望してきたサッカー馬鹿。体格のせいでディフェンスをお願いすることも多いが、つどーむの試合で札幌ドームにひとり乗り込んだり、スケジュールを一週間間違ったり、ディフェンスに必要な読みの甘さが露呈している。


29

ケイ
168/65

ソウと入れ替わりにアメリカから帰国してきたセンターフォワード。低い重心のドリブル突破や、つい熱くなった試合での激しく汚いフィジカルチャージから、ジョッピンカルのマラドーナの称号を得た。靱帯が切れてもなお凄いスピードとトップスピードで魅せる果敢なヒールリフトで素人親父を魅了したが、2002年、3月、京都、同志社大学へと移籍。


27

スギ

177/75

ワールドカップが終わるまでは定職に就かないと言い切る男らしいサッカー馬鹿。所属していたライラックリーグのチームが消滅したため移籍入団。2002ワールドカップスタッフはもちろん、コンサドーレボランティアスタッフ等でも活躍。瞬発的運動量で無職の癖に、フィールドではよく働くと評判(Bd談)


8

ロベルト(ロビー)
172/65

初期から時折、参加していたがバンド仲間のぜるに誘われメンバーとなる。プレイヤーの羨望、ファンタジスタ・ロビーの称号を求め、たとえゴール前フリーでもジャンピングボレーやループシュートを狙う(そして枠を外す)一時期は「カルロス」か?と疑いもあったが、キーパーの弾いた球などを押し込む泥臭いプレーから「隊長」と呼ばれることも多い。札幌リーグ6部、FCKの中心選手。


26

ナカタ
165/55

ジョッピンカル・ユース世代を担う、高校生四天王の一角。ふた廻りも上の大人には決して太刀打ちできない運動量、スタミナ、スピードは、相手チームからクレームの嵐を呼ぶ。


24

オバラ
171/56

同じく四人組の一角。未成年らしくない厳しいフィジカルチャージも持っているため、対戦相手の大人を時折、大人げなくさせる。他のお友達が毎月一万円のお小遣いを貰っているのに、ひとりだけ八千円なのが悩みの種。


70

リョータ
165/52

陸上部出身で100メートル10秒を切る快足ウイング。U-23では彼が入ると「君たちは本当に友達か?」と疑いたくなる過酷なパスがコーナーフラッグめがけて繰り出される。ジョッピンカルの本山と言われ男色メンバーに貞操を狙われている。


99

ツバサ
164 /50

生まれながらに翼くんの称号を手に入れた高校生メンバー。子供ながらに冷静な状況判断ができることから、2001年インターポンチ杯、企画ものチーム10人組ジョッピンカルV6の司令塔に抜擢された。名前が覚えられなくて当初フロント内部ではダパンプと呼ばれていた。


19

タッカー
175/65

サッカー経験は中学校止まり、以来やりたい気持ちが燻りつつも20年以上経過してジョッピンカルに出会う。若作りの父親に19の娘が居るというだけでメンバー全員の羨望の眼差しを受け、まさに援交状態。2001年ジョッピンカル・アウォーズのMVPはタッカーの娘に与えられた。アウェイゲームにも乗り込むコンサドーレサポーターであり、ジョッピンカルの宴会大臣も担う。


44

著 左冷(チョ・サーレィ)
17?/??

ライバルチーム、A.C. GROSSA Da Bezzaの代表。2001年、何をトチ狂ったか勉強の為、入部を希望してきた。その愛嬌ある風貌からヤスタロー(松木)と呼ばれていたが、謎のアジア人、著 左冷(チョ・サーレィ)として、ここでもちょされまくっている。怪我がちで最近参加は少ないが、普段は福祉関係の仕事をこなす、心優しきいじられキャラ。


30

ガンダ
17?/??

札幌リーグ5部チーム、北都建材ヒーローズのセンターフォワード。尋常じゃないスピードで、戦術を持てない草サッカーに於いてもっとも効果的な「ひとりカウンター」を演じる。たまにやって来るくらいで、若い選手なのだが、そのスピードにみんな一目置いていることから、つい「ガンダさん」とさんづけで呼んでしまう。


41

ルー
170/90

遠い学生時代にサッカーの経験はあるものの、体力の低下と体重の増加と毛根の弱さに危惧を感じ、入部してきた典型的おじさんメンバー。DFをお願いすることが多いが、多少の経験者だけあって、本家ジョッピンカルメンバーよりはるかに重宝。農業試験場勤務のため、札幌ドーム興行の際にはグラウンド横付けで柵を乗り越えの力業が使える。2002年、登録名をワタからROUX(るー)に改名。


31

ジョン・エラティ
172/58

2000年まで札幌リーグのチームに所属していたが引退。その後、おやじチーム結成の運びを知り、現役復帰。小学校教師のため、試合前のウォーミングアップとしてとりいれたラジオ体操第一では、教壇に立って振り付けを指導してくれる。オレンジユニ所有者の中では数少ない長袖シャツ愛用者。2002年、登録名をERAからJ.ERATYに逆帰化申請。


38

エビ
167/96

ワタ選手の同僚(動物衛生研究所 )サッカー経験者ではあるが現役を退いて20年。さらに退いて20Kg体重が増えた事に危惧を感じ遅れて参加。DFとして出場することが多いが、麻雀や飲み会の時にみせる正確なポジショニングが定評。


37

ヤマダ
165/78

たまたま遊びに来て、いきなり試合に出されて12年振りに走ったという、おじさんメンバー。体力不足のため、そーっと休めるアウトサイドのポジションに入ることが多い。スタミナには自信がないが、4トンユニック車持参可能な事が売り。


33

フランツ
168/65

現役を離れて20年という、おじさんメンバー。無理せず楽しみながらサッカーをやれる環境を求めてジョッピンカルに入部。20年のブランクはいえど、正確なキックと背筋の伸びたドリブルはジョッピンカルの釜本と呼ばれている。決して頭髪のことではない。


裏7

まっちゃん
168/63

ジョッピンカル・ナンバーワンの足技を持つポステルマン。たとえフリーでボールが持てたとしても、あえて相手が来るまで待って勝負する。自分の結婚式当日もぎりぎりまで試合に参加していたサッカー馬鹿。ジョッピンカル・ナンバーワンと書いたが、実はゴイスFCの中心選手。コンサドーレ山瀬は俺の後輩だと豪語するが、榎木津代表が故、松田優作の後輩である程度の意味しかない。


35

ボリス
17?/??

チリからやってきたジョッピンカル初の南米選手。名字から解るように日本語も堪能なんでご安心を。特別な経験者でなくても南米人にとってサッカーは韓国人にとってのキムチのようなもの。通称ボリス・バーこと、ラテンバー、ススキノ南6西3、第八桂和ビル ミ・コロンビアのマスター。


タテイシ
??/??

さて、不幸にもジョッピンカルに入部してしまったメンバーの中でも、その実力を認められたエビラ、ミチヒロなどは本家炎のキャプテン、ドゥンガ斉藤も所属する札幌リーグ5部チーム、北都建材ヒーローズに昇格した。このチーム名前のとおり北都建材なる会社のクラブチームなのだが、その中で数少ない本当に北都建材に勤める選手、レフティ立石。逆に降格してしばしばジョッピンカルでこき使われる。


04

メイビス
167/107

No14:ぜる、No8:ロベルトと同じバンド仲間なのが縁で、当初から見学に来ているうちにユニを作った奇特なサポーター。しかもサポーターズ・ナンバー「04」としてメイビス、ナンバー「01」でんでん(妻)娘は「μ」と家族分のユニを創るほど。しかしゲームに出たことはこれまでに一度もない。彼のweb「mavis box」のコンテンツ「面白絵日記」にお世話になっている独身メンバーも多い。

五期メンバー(2002〜)

よしぴー

まみぴー

2002年、ジョッピンカル・マネージャーに志願してくれた奇特な人たち。これから試合中の怪我などがあった場合、救急看護婦としてお世話してくれるだろう。真意は花婿探しなんで、相手チームに対しても同様だ。自らを癒し系と称するとんでもないやつでもある。まみぴーは千歳ANAのグランドホステスなので、独り身の女性などを絶妙のポジショニングで座席指定してくれる采配に期待。しかしベテランすぎてあまりカウンターに立たせてもらえないのが悩みの種。


40

ローリー
180/85

元ラガーマン(ただし20年前)サッカー少年団に入団した息子に対抗して、サッカーチームに入ろうと決意。どうせ不遇の選手生活で終わるのであれば"名門チーム"のユニフォームに袖を通したいと、思いきって入部(本人談)たまたまストーンマッチ前日に申し込んだため、不幸にも翌日、朝五時に呼び出されたジョッピンカルの人間冷蔵庫。道内全試合チケット確保(ナビスコ含む)するほどの熱血コンサドーレサポーター。


81

キン スグァン
176/76

2002年ジョッピンカルには新たに3人の外国籍選手で補強することになっている。何年も昔にサッカーをしていたのだが、ずいぶんブランクがあるため体力的に不安だ、との事だが、よくよく問い合わせるとそのブランクたるや、たったの二年。二十年のブランクを経て活躍するNo:33ニブ選手を驚愕させるアジアの虎。


45

三沢 光晴
173/75

足利工業大学付属高等学校時代は、アマチュア・レスリングで国体に出場し、フリースタイル87キロ級で優勝。 中学時代は体操部に所属し、天性のバネに磨きをかける。高校卒業後は自衛隊のスカウトを蹴ってプロレス入り。 デビュー後、メキシコ遠征、タイガーマスク時代を経て超世代軍を結成すると、 やがて全日本プロレスに存在するすべてのベルトを取得。日本プロレス界のエースとして君臨すると同時に、 業界の地位向上を目指して更に邁進する 。

ジョッピン・フロントメンバー一覧(本家ジョッピンカル創設メンバー)


20

榎木津(代表)
178/60

フロントの人間がなぜ背番号をつけているかというと、それは長嶋監督のようなもの。ただし、技術、戦術的な指導はまったくできないため「監督」でなく、あくまでも「代表」汗をかくことを嫌うため、ほとんど試合には出ない。出るとしたらミスパスが決定的なピンチになりづらい前の方。最近、不本意に強くなってきたジョッピンカルに対し、戦力引き下げのためか、ライバルチームからの現役復帰要請がいまも止まない。


17

バッドドック(Bd)
165/65

榎木津不在時には代行をつとめるジョッピンカルの精神的支柱。フィールドのヒールを形から目指しているので、堂々としたハンド、ゲイまがいなボデイチャージなど、対戦相手を萎えさせる。自らがゴールをあげた時には全裸になってフィールドを駆け回るのが夢。ただし、主審、線審にも追い抜かれるほど能力が貧乏なため確率はtoto一等並に低い。現在もキャリーオーバーを続けている。


I

アイ
172/72

相川兄さんと慕われる人生のベテラン。ジョッピンカルの守護神。GKだけあって怪我と持病は耐えない。中でも、煩悩を越えて何もかも解らなくなるまで飲み、意識不明のままススキノを徘徊する危険な爆弾を抱えている。年間100点以上の失点を許し、札幌中の草サッカーチームにありがたがられ、慕われる。


13

みっちゃん
168/59

自転車のように喋り続けていなければ倒れてしまうジョッピンカルのダイナモ。試合中も戦術、戦況にまったく関係のないその声は止むことはなく、自軍のチームを混乱に陥れる。喋らなくなったときが交代のタイミング。どんなに焼いても焼けない真っ白な肌は、親戚のカルーセル麻紀譲り。


21

ぎんぞー
174/60

ジョッピンバス運転手、兼ホペイロ、会計係としてチーム創設に重要なこき使われ方を果たしたが、週末の競馬が忙しくついて最近あまり来ない。飲む・打つ・買う、と三拍子揃ったユーティリティプレーヤー。試合ではまず飲むことから始めるため、たいてい写真のようなロバ顔をしている。


4

デコッパチ
166/70

南米のサッカー(といってもコロンビアとか)を愛する今時変わった選手。カンポスを真似てGKをすることも多いを守るが、たいていゴールマウスに隠れて煙草やビールを飲んでいるので注意と監視が必要だ。


5

モリイ
171/75

チーム立ち上げの時に人数合わせの為、本家から出向、ユニフォームまで作らされた気の毒な選手。時々、思い出したように参加するが、10分くらい出場すると「もう、だめだ」と言って帰ってしまう。


22

ニキ
170/70

同じく本家からの出向メンバー。本家の中では数少ない経験者だが、業界に魂と体力を吸い取られ風前の灯。レフティでボンバーシュートとボールタッチの柔らかさは定評があるが、決定的チャンスに「あと10Kg痩せていれば」と嘆かれている。


yas4

ヤスヨン

FM Air-Gにてラジオ・ディレクターを務める傍ら、たまたま唄ったパチンコ屋「パーラー大黒天」CMソングが空前の大ヒット、続けて月刊コンサドーレでサッカー馬鹿として見開きで掲載されたことから、ジョッピンメンバーに一目置かれている。アウォーズでは栄えある司会をも務めたユーティリティ・プレーヤー。W杯フランス大会に0泊3日で一人で行ったり、名波見たさにイタリアまで一人で行ったりする機動力が、猛烈に婚期を遅らせまくっている。ユニフォームもフルセットで所持するれっきっとした本家メンバー。

はあ〜、よくここまで飽きずに観たね。に戻る。