2001.12.26(056)号
希望を抱き、恐怖に震え、畏怖にうたれる。究極の歓喜があり、耐えがたい絶望がある。サッカーという冒険には、人間のあらゆる感情が凝縮され、すべての営みが投影される。だから、刻まれた記憶は決して色褪せない。

今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられる
- 2001年度、第四回ジョッピンカル・アウォーズ

ジョッピンカルの一年を振り返り、戦績やMVP、得点王、ベストイレブンの表彰式を兼ねた恒例の温泉一泊二日大忘年会、ジョッピンカル・アウォーズ。

2001年度、第四回ジョッピンカル・アウォーズは、12月22日(土)〜12月23日(日)

暮れどころかクリスマス直前の忙しい時期だが、家族と過ごすのは25日、恋人と過ごすのは24日、愛人と過ごすのは23日とジョッピンカル憲法で決まっている。22日は熱い男同士で夜を過ごすのだ。
さあ、全員一緒にみらこー、みらこー(解る人は

さて、今年は、思いの外、会場の手配に苦戦。
昨年、一昨年の会場からは「頼むからもう勘弁してくれ!」と泣きを入れられる始末。
果ては登別、洞爺まで懸命に交渉したが、ふと「何故、遠くに行かなければならないのか?」という根本的疑問にぶちあたり、なんと今年は札幌市ド市内に決定した。

北海道電力こと、ほくでんグループの社員や家族が利用できる多目的厚生施設「北二条クラブ」(not法華クラブ)が、その会場だ。
もちろん、一見さんや、我々のような西洋乞食の集まりが使用できるような施設ではないにしろ、そこは、ならではの財界ルートを効かせ、格安のベタ押さえに成功した。

今回、栄えある式典出席にノミネートされたのは31名。
一方、式典の開演準備は入念に行われた。
この日の栄えある総合司会に抜擢されたのは、幻のジョッピンカル女子正規メンバー北ヤスヨン38°(Air-G)
ドイツ車を新車で購入したくせに(ただし60回払い)着ていく服がないと言いやがるヤスヨンの訴えに、ジョッピンカルフロントは、真紅のスーツを新調した。(しかも帽子、靴まで)
ただし、一年ぶりに会うヤスヨンの体格が少々、立派になりすぎていたのを懸念したフロントは、本番前の衣装チェックが必要だと配慮。真紅のハムのような姿を来賓に披露するわけにはいかない。
幸いにも、辛うじて計量にパス。事なきを得た。

予定通り19時、会場。
そして19時15分、FIFAアンセムの音楽にのって司会のヤスヨンが登場。

↑サンタの着ぐるみに身を包むヤスヨン。
この後、副業のパチンコ大黒天のCMソングをアカペラで高らかに唄うヤスヨンに、会場は拍手喝采。
左は幹事の大役を買って出てくれたタッカー。

2001年度、第四回ジョッピンカル・アウォーズの開催を宣言した。

これまで不運にも三年連続で見送られた悲願のジョッピン国家斉唱。

そして、宴の乾杯。
乾杯の御発声は、今回、幹事として並々ならぬご尽力をいただいた新札幌No:19 タッカー。
選手としてのチームへの貢献はさておき、娘がなんと18歳という、親子で歩くだけで援交状態、全員の羨望を一気に受けながらの乾杯だ。

しばしのご歓談の後は、授賞式。
その前に、フロントからの報告として、榎木津代表が本年度の総括を行った。
チームとしての総括、来年度からのCI(コーポレーション・アイデンティティ)の変更については、次回のロイタ一発で詳しく述べる。
また、草サッカーチームとしての興行収入が、本日を迎えるに当たって、四万八千円の黒字会計で終わったと報告した。もちろん、今年稼いだ金は今年使う、というジョッピンカル憲法に則って、全額、本日の宴にあてがわれる。

引き続き各賞の発表が行われた。

まず、高円宮杯(たかまどのみやはい)の発表。
この賞は、今年、一番多くジョッピンカルの興業に参加してくれた、すなわち、最も多くの会費をチームにつぎ込んでくれた奇特な選手、一名に与えられるもの。


栄えある受賞者は、新札幌No:0(ゼロ)、ジャンルカ・おやじ選手。
副賞として、ナイキ、ジョッピンカルモデル、長袖ユニフォームが贈られた。
(写真)

続いて、新人賞。
ある意味、ジョッピンカルの中では一番、重要な賞だ。
実はこの式典の司会用原稿は、数日前に完成していた。つまり、それぞれの受賞者はあらかた決まっていたことになる。
司会のヤスヨンにあらかじめ渡されていた原稿案(二時間で書いて、一日かけてHTML化)

しかし、最後まで書けないでいた空欄がひとつあった。
最後までもつれたのが、新人賞だ。
↑45歳になって新人賞を頂けるとは、とコメント
最終選考まで残った二人のうち一人は、ニブ選手。
現役から20年のブランクがあるとはいえ、ベテランならではのポジショニング。
ロメオカップのフル代表でも不動のセンターバックとして活躍してくれた。
背筋を伸ばしてドリブルする姿が、釜本のようだと言われている。決して頭髪のことではない。
また、なによりもいつも奥様を同伴される姿は、「家族を大切に」を基本理念とするジョッピンカルの手本である。
いわば文句なしの選出である。

だが、最終的に最優秀新人賞は、チリからやって来た「ボリス」さんに贈られることになった。
僅差の決定理由は、サッカー非経験者であるという点だ。
残念ながらボリスさんは会場にはお越し頂けなかったが、代理で記念品を受け取った、同じ団地に住むBdの、ボリスさんへの真摯なコメントは、かろうじて酔っぱらっていない人の胸をうっただろう。
↑代理受賞で記念品を受け取るBd(右)と娘との七五三の写真撮影のためにドレッドヘアを切った榎木津(左)

札幌市内のハム工場に勤めるボリスさんだが、こう世の中が不景気だと、外国人労働者への差別も厳しくなる。
その会社にもサッカー部なるものがあって、家族を連れて何度も試合に伺ったこともあったそうだが、一度も試合に出してくれる事はなかったそうだ。

ボリスさんは本当に、みんなの事を、ファミリーのようだと、そして、こんな素晴らしい日本人がまだ沢山居るのだと、本当に嬉しかった、というようなコメントだった。

続いて、今年から新設されました「ベスト・ジーニスト賞」の発表。
この賞は、その年、ジョッピンカルの中で最も印象に残った選手、Most Impression Playerに贈られる賞だ。
本年度は一般投票が行われたので、無記名コメントを抜粋する。

高校生4人組
ほかにやることがいっぱいある高校生なのに、父親やおじいちゃんの年代と一緒にプレイする、その真摯なマインドに感動。

スギ
味方をも欺く縦への上がりが尋常じゃないから。

mavisさん(サポーター)
勝手に画像を使わしてもらっているから。

シオミ
潮見ガーデンプレイスが気に入った。

圧倒的多数の票を獲得した「ベスト・ジーニスト賞」は、新札幌No:14 ぜる選手に決定した。
自分で転んでのサッカー選手としては致命的な骨折。その後も健康的な時を越える出席率で松葉杖をついての参加。
9月。仕事の都合で、港区六本木へと転勤、涙の別れ。
しかし翌月、札幌出張にかこつけてカウンター参加。そして、この栄えあるアウォーズの為にわざわざ東京から来日してきた奇特なプレイスタイルは「ベスト・ジーニスト賞」にふさわしいと言えるだろう。

さて、残すところは、いよいよ2001年度ジョッピンカル・アウォーズMVP、最優秀選手賞の発表。
今年から選定方式が変わり、例年は、一般投票のポイント数に、最後に榎木津代表の一万ポイントを上乗せして決定していたMVPだったが、本年度は、100%、投票の結果を忠実に守った。(まじ)いくつかの投票コメントを紹介する。

Bd
精神的支柱だった上に雅子様と同じ年に子供を授かったから。

アベジ
ハットトリックもみんなひややか

ソウ
金髪ねーちゃんうらやましい。

他にも「田代まさし」という悪質な組織票が一時的に上回ったものの、最終的にダブルスコアの大差をつけた。

圧倒的な支持を得た、2001年度ジョッピンカル・アウォーズMVP、最優秀選手賞は、新札幌No:19 タッカーの「娘」
残念ながら娘さんは本日、会場にお越しいただけなかったが、代理で、花嫁の父であるタッカー選手に花束の贈呈がおこなわれた。

以上で授賞式は終了。

続いては、ジョッピンカル史上最強の景品争奪、ビンゴ大会。
ビンゴ大会の一等は、プレイステーション2
見事ゲットした、ぜる。
わざわざ東京から出てきた甲斐があったというもの。

みんなの前で、自慢げにさっそく箱を開けてみる。
あれ?コントローラーが白い?

あわれ!

中身は、プレステ1が二台同梱で、プレステ


二等、海外製高級エレアコ(提供:玉光堂楽器店)どう考えてもこっちのほうがまともな商品。 インポート・イングランド代表レプリカ。これを来てれば来年、フーリガンに襲われることもない!
サッカー養成ギプス、キックマスター。
左手に持っているのは、アルディレス監督の鑑定書(マジ)

宴の最後は、締めの乾杯。

御発声は、今年もジョッピンカルの過酷なゴールマウスを守り、さまざまな札幌の草サッカーチームたちに、合計148点をプレゼントしてくれたベテランGK、相川選手。

こうして、2001年度、第四回ジョッピンカル・アウォーズ式典は、終了。

以降、宴の席は 旧館3Fにて夜を通して続けられた。
(写真を観たい人は、次のページにて。ただし、すっげー重いよ!)

ちなみにこの日でジョッピンカルは四万八千円の黒字会計から、四万九千五百二十円の赤字会計に転換した。

ロイタ一発・共同通信

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