登録選手■2002シーズン入団選手

おともだちを覚えよう!ここに載っていないメンバーも沢山、ジョッピンカルの興行に参加してくれましたが、抜粋として背番号登録(おニャンコ倶楽部でいうところの会員番号みたいなもの)したメンバーを中心に紹介します。

五期メンバー

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40 ローリー
1963.3.2 / 180/85

サッカー少年団に入団した息子に対抗して、サッカーチームに入ろうと決意。仕事帰りの姿がまるでロータリークラブみたいだというところからローリーの称号を得る。元ラガーマン(ただし20年前)の体格を生かしセンターバックやポストプレイとしてのFWもこなすジョッピンカルのソダン。宴会大臣にも副官を強引に任命され日夜クラブの服務もこなす。



81 スグァン
1976.3.1 / 176/76

ハングルのユニフォームネームを背負ったジョッピンカル外国人枠選手。運動量とスピード、当たりの強さはもちろん、キムチの年間消費量は期待通り。仕事の都合で日曜日しか参加できないが早朝5時ならすっとんでくるアジアの虎。



45 三沢 光晴
1974.3.10 / 173/75

プロレスの三沢に似てるというだけでこんなリングネームを背負った不幸な選手。実際に話してみると落差の激しい物腰の柔らかさに驚かされる。週末に子供たちがサッカーをしているの観て自分も勝ち負けにこだわらないサッカーを楽しみたいと入部。愛読書はキャプテン翼。



39 ヒッキー
1958.1.13 / 174/82

コンサドーレ札幌の二部降格がきっかけで入部を決意。長年のコンササポではあったがサッカー経験は小学校の授業だけという、絵に描いたように見事にジョッピンカルの入部資格に一致。ヒッキーは本名をもじったものだが、名前に違わず娘にも呆れられるゲーオタ親父。



妻 めぐまま

ジョッピンカルに於いてもうこの人のことを記さないわけにはならない。フランツの奥様でもある。天候や場所に恵まれた興業の時「のみ」ピッチの脇では、奥様たちの「くれない会」で賑わうが、そんな中、唯一ジョッピンカルのプレイを観てくれて応援してくれる唯一の存在であることは感謝に堪えなく同時にちょっと寂しい。

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