登録選手■2003シーズン入団選手
おともだちを覚えよう!ここに載っていないメンバーも沢山、ジョッピンカルの興行に参加してくれましたが、抜粋として背番号登録(おニャンコ倶楽部でいうところの会員番号みたいなもの)したメンバーを中心に紹介します。
六期メンバー
51 まつも
1983.1.13 / 179/70
ジョッピンカル岩見沢遠征で対戦したFCローマのGKだったが、高校卒業にあわせてジョッピンカルに正式移籍。GKの層の薄さ問題克服のニュースに相川メンバーを喜ばせたが、新入社員の激務に追われ週末も忙殺、つかの間の喜びに終わる。新篠津の実家の野菜は奥様団体くれない会で評判。
55 冷蔵庫
1973.1.29 / 178/85
彼もまたライバルチームTERRA FCのメンバー。でかい図体からマッチアップの際に人間冷蔵庫呼ばわりされていた。2002年満を辞して移籍加入。GKからフィールド、審判まですべてをこなす上、ウイイレはもちろんサカつくはじめサッカーゲームにもうるさいよく冷えるサッカー馬鹿。
36 テラッチ
1958.4.28 / 174/73
中学時代に室蘭で当時ヤンマーの釜本選手の現役プレイを観たというベテラン選手。ただしその頃、本人がやってたのは野球とバスケ。コンサカップではポマードに固めたオールバック姿が前世紀のミヤトビッチのようだと、Bdやルーを代表するホモメンバーたちに熱い舌鼓を打たせた。
53 ツジイ
1956.10.18 / 173/76
テラッチとともにやってきたベテラン選手。年齢の割に運動量も多くプレイも安定しているが、年齢相応に愚痴も多い。不動のセンターバック・フランツと形成するフィフティーズラインは挑んでくる若者たちに親孝行を思い出させるだろう。
りょうすけくん、きっと家でも口うるさいとーさんだろうけど、我慢してやってくれ。
50 タケP
1972.3.27 / 173/76
ゴイスFCの面々がサッカーを求めて参加することが多いのだが、だんだんジョッピンカルの血が濃くなってしまったあげくどっぷりつかってしまった好例。ゴイスではベテラン選手でもジョッピンカルでは若造扱いで、過酷な運動量が必要とされるポジションで日夜こき使われる。
52 バーボン
1961.11.7 /
年齢を気遣い、緩いサッカーとお酒も飲めそうなチームを探してジョッピンカル入団。背番号は好きなバーボンに合わせて52度。ミドルカップトーナメントでは所属チームを断り1969へ移籍する炎の決断。後の後悔の始まりとなる。プレイスタイルは孤軍奮闘そのものでジョッピンカルのネドヴェドと称される。
58 コバ
1980.6.13 / 164/55
週末の飲み屋でアベジメンバーに誘われて、翌朝早朝サッカーに呼び出される。あやしいTシャツ売りなどストリートの苦労人。フットボーラーにつきものの爆弾をいくつも抱えて大抵、どこかを痛めている。コンサカップでは自らボールに乗り上げ自爆退場するパフォーマンスで魅了した人間爆弾。
73 GOD POWER(バティ)
最初の参加時にアルゼンチンユニを着ていたことからバティと呼ばれるさすらいの草フットボーラー。最年少という訳ではないが身長的に最少のため、こき使われる。2003シーズン、GK相川メンバー鎖骨骨折以降は、GKを引き継ぎ、その貧乏な身長を生かしライバルチームたちに大きな贈り物を与え続けている。
69 ドク
1972.1.16 / 163/63
大阪より来日した勤務医のためドクと呼ばれるようになる。チームドクターにメンバーも喜んだのもつかの間、飲み会で乱れた人間性が露呈される。医者や教職などの堅い仕事ほどその反動は大きく、もうピンサロ程度では満足できないらしい。専門は下の方でこれからお世話になるメンバーも多そうだ。
48 ナカガワ
1975.4.8 / 165/67
なにやらルーがボリスバーで飲んでいる時にとある女性たちと親しくなったとか。ホモ疑惑を払拭しかねない噂だったが、結局、実を結んだのはその友人とか旦那さんとか、そのあたりの事情よく解らないが、ナカガワメンバーの入団である。彼はショーツ中、おしりにガムテープを貼ってプレイしたほうがいい。
7 イチくん
彼もまたゴイスFCからの危険な傭兵だが、あまりにもコンスタントな興業参加でメンバーにすっかり浸透。後方からの炎のアドバイスで親父メンバーを叱咤激励する。コンサカップでもジョッピンカル(狼)中心選手として活躍。髪型を変えすぎな頼れるヤンキー。
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