登録選手■2001シーズン入団選手

おともだちを覚えよう!ここに載っていないメンバーも沢山、ジョッピンカルの興行に参加してくれましたが、抜粋として背番号登録(おニャンコ倶楽部でいうところの会員番号みたいなもの)したメンバーを中心に紹介します。

四期メンバー

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28 ダディ
1970.3.28 / 182/68

彼もまた、所属チームの活動が少ないため入部を希望してきたサッカー馬鹿。体格のせいでディフェンスをお願いすることも多いが、つどーむの試合で札幌ドームにひとり乗り込んだり、スケジュールを一週間間違ったり、ディフェンスに必要な読みの甘さが露呈している。嫁が若いくせにギャグがじじくさい。。



29 ケイ
1977.5.20 / 168/65

ソウと入れ替わりにアメリカから帰国してきたセンターフォワード。低い重心のドリブル突破や、つい熱くなっての激しく汚いフィジカルチャージから、ジョッピンカルのマラドーナの称号を得た。靱帯が切れてもなおトップスピードで魅せる果敢なヒールリフトは素人親父を魅了したが、現在、京都へと移籍中。ジョッピンカル奥様会でもある「くれない会」では格好の餌食。



27 カイザー
(スギ)
1967.2.22 / 177/75

ワールドカップが終わるまでは定職に就かないと言い切る男らしいサッカー馬鹿。よって4年に一度しか定職に就かない。2002ワールドカップスタッフはもちろん、コンサドーレボランティアスタッフ等でも活躍。瞬発的運動量で、無職の癖にフィールドではよく働くと評判(Bd談)2002ワールドカップ終了後、思い出したように就職。えれのラーメンは1969メンバーのたまり場。



10 ロビー
1971.9.27 / 172/65

初期から参加していたが榎木津代表にXXLの不良在庫ユニを買わされメンバーとなる。フットボーラーの羨望、ファンタジスタ・ロビーの称号を求め、たとえゴール前フリーでもジャンピングボレーやループシュートを狙う(そして枠を外す)2003シーズン所属チームをじょっぴん1本に絞り、2004年、ついに憧れの背番号10番を3800円でマサ選手より買いあげる。



26 ナカタ
1984.4.3 / 165/55

ジョッピンカル・ユース世代を担う、高校生(当時)四天王の一角。ふた廻りも上の大人には決して太刀打ちできない運動量、スタミナ、スピードは、相手チームからクレームの嵐を呼ぶ。



24 オバラ
1984.5.7 / 171/56

同じく四人組の一角。未成年らしくない厳しいフィジカルチャージも持っているため、対戦相手の大人を時折、大人げなくさせる。他のお友達が毎月一万円のお小遣いを貰っているのに、ひとりだけ八千円なのが悩みの種。



70 リョータ
1984.12.17 / 165/52

陸上部出身で100メートル10秒を切る快足ウイング。U-23では彼が入ると「君たちは本当に友達か?」と疑いたくなる過酷なパスがコーナーフラッグめがけて繰り出される。ジョッピンカルの本山と言われ、Bdやアベジなどの男色メンバーに貞操を狙われている。



99 ツバサ
1985.3.20 / 164 /50

生まれながらに翼くんの称号を手に入れた高校生メンバー。子供ながらに冷静な状況判断ができることから、2001年インターポンチ杯、企画ものチーム10人組ジョッピンカルV6の司令塔に抜擢された。名前が覚えられなくて当初フロント内部ではダパンプと呼ばれていた。



19 タッカー
1962.1.19 / 175/65

ジョッピンカルに20年遅れてやってきた男。若作りの父親に20すぎのの娘が居る援交状態はメンバー全員の羨望。ジョッピンカルの宴会大臣、キャンプ大臣、スノボー大臣と兼務するしきり屋はフロント以上の働きだが、一人っ子で育ったためお友達と遊ぶのが楽しくてしょうがないみたい、と嫁は嘆いている。



44 ふとってぃ
1969.9.16 166/93~83(変動中)

ライバルチーム、A.C. GROSSA Da Bezzaの代表。2001年、何をトチ狂ったか勉強の為と、入部を希望してきた。その愛嬌ある風貌からヤスタロー(松木)と呼ばれていたが、謎のアジア人、著 左冷(チョ・サーレィ)として、ここでもちょされまくっている。近年、ふとってぃの称号を手に入れたが、意に反して痩せてきてせいで心配されている。



30 ガンダ
(がんださん)

札幌リーグ5部チーム、北都建材ヒーローズのセンターフォワード。尋常じゃないスピードで、戦術を持てない草サッカーに於いてもっとも効果的な「ひとりカウンター」を演じるスナイパー。たまにやって来るくらいで、若い選手なのだが、そのスピードにみんな一目置いていることから、年下なのについ「ガンダさん」とさんづけで呼んでしまう。



41 ルー
1965.4.11 / 170/90

体力の低下と体重の増加と毛根の弱さに危惧を感じ、入部してきた典型的おじさんメンバー。以降、入団してくるエビ、あるまんどと同じ釜の飯を食う同僚のため、ジョッピンカルの清水の三羽烏と呼ばれる。2003年、アウォーズの席でホモ疑惑が浮上。本人も大筋で認めている。



31 ジョン・エラティ
1967.4.24 / 172/58

2000年まで札幌リーグのチームに所属していたが引退。その後、おやじチーム結成の運びを知り、現役復帰。小学校教師のため、試合前のウォーミングアップとしてとりいれたラジオ体操第一では、教壇に立って振り付けを指導してくれる。教育者とは思えない汚いチャージには注意が必要だ。



38 ハマー
1963.9.14 / 167/96

ジョッピンカルの清水の三羽烏の一角。サッカー経験者ではあるが現役を退いて20年。さらに退いて20Kg体重が増えた事に危惧を感じ遅れて参加。DFとして出場することが多いが、麻雀や飲み会の時にみせる正確なポジショニングが定評。現在、病気療養中。復帰が待たれる。



37 あるまんど
1963.11.30 / 165/78

たまたま遊びに来て、いきなり試合に出されて12年振りに走ったという、おじさんメンバー。スタミナには自信がないと愚痴りながら再び始めたサッカーだが、今ではすっかり火がついたお馬鹿さん。ユース組織も担い、現在小学生(U-12ー少女)女子サッカーチームを牽引中。



33 フランツ
1956.1.27 / 168/65

現役を離れて20年という、おじさんメンバー。無理せず楽しみながらサッカーをやれる環境を求めてジョッピンカルに入部。20年のブランクはいえど、正確なキックと背筋の伸びたドリブルはジョッピンカルの釜本と呼ばれている。決して頭髪のことではない。ジョッピンカル不動のセンターバック。



裏7 まっちゃん
1974.8.30 / 168/63

じょっぴんナンバーワンの足技を持つポステルマン。たとえフリーでボールが持てたとしても、あえて相手が来るまで待って勝負する。じょっぴんナンバーワンと書いたが、実はゴイスFCの中心選手。対戦チームのみなさんは彼がボールを持ったら待っているので果敢に勝負に行ってあげて欲しい。ただし、ひとりづつ順番に。




35 ボリス
1957.4.15 / 17?/??

チリからやってきたジョッピンカル初の南米選手。特別な経験者でなくても南米人にとってサッカーは韓国人にとってのキムチのようなもの。通称ボリス・バーこと、ラテンバー・モアイ(札幌市中央区南5条西5丁目 中銀ビル5F 011-533-2430)には不良じょっぴんメンバーがたむろする。



建 タテイシ
19??.?.? / ??/??

さて、不幸にもジョッピンカルに入部してしまったメンバーの中でも、その実力を認められたエビラ、ミチヒロなどは本家炎のキャプテン、ドゥンガ斉藤も所属する札幌リーグ5部チーム、北都建材ヒーローズに昇格した。このチーム名前のとおり北都建材なる会社のクラブチームなのだが、その中で数少ない本当に北都建材に勤める選手、レフティ立石。逆に降格してしばしばジョッピンカルでこき使われる。



04 メイビス
1964.11.29 / 167/107

No14:ぜる、No8:ロベルトと同じバンド仲間なのが縁で、数々のイベント興業に参加。チーム歴は長いが、ゲームに出たことはこれまでに一度もない。彼のweb「mavis box」のコンテンツ「面白絵日記」にお世話になっている独身メンバーも多い。



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