登録選手■2000シーズン入団選手

おともだちを覚えよう!ここに載っていないメンバーも沢山、ジョッピンカルの興行に参加してくれましたが、抜粋として背番号登録(おニャンコ倶楽部でいうところの会員番号みたいなもの)したメンバーを中心に紹介します。

初期メンバー

mg02.jpg

15 エビラ 1971.11.27 / 170/70
1999年8月、滋賀県リーグよりばりばりの関西弁で来日。ちなみに嫁もベキベキの関西弁。低い重心からなる抜群のボールキープ力とコントロール、東急ストアから盗んだカゴに詰めてくる、スナック菓子に対する異様な執着は文句無しのチームナンバーワン。 2002年4月、惜しまれつつも新潟(notアルビレックス)へ移籍。



00 つぶやき
1976.11.1 / 184/85

フロント代表、榎木津のご子息が通っていらっしゃった幼稚園で教鞭を揮う一方、子供達と遊ぶ振りをしてドリブルの練習とかしているらしい。もちろん子供達が催促してもボールは渡さない。恵まれた体格でサッカーにとどまらず、スポーツ全般となっちを愛すが、父兄からはロリコンと罵倒されている。
2005シーズン、背番号7を売却。00に変更。



9 ソウ
1981.12.13 / 175/65

チーム立ち上がりを支えた不動のセンターフォワード。ジョッピンカルのワンダーオーウェン。もしサカつくで出てきたら即買い。ひとりカウンターは相手チームの驚異。2001年、アメリカ、ミネソタ州へ移籍。現在、凱旋帰国するも東京(notガス)にレンタル移籍中。



11 キン
1980.1.18 / 181/72

ソウと共に初年度を支えたジョッピンカルのベルカンプ。フェルナンデス監督来日時に唯一、絶賛された選手。ただしコンサ時代の鳥居塚、村主、石塚、とフェルナンデスに見そめられて幸せな晩年を過ごした選手は居ない。北大生時代は本分であるアルバイトや留年を賭けた降格争いに精を出してあまり来れなかったが、社会に出てからもフェルナンデスの呪いが解けずに苦労しているようだ。復活を期待。



8 マサ
1978.1.24 / 176/78

ジョッピンカルの10番は代々、一番運のいい選手に与えられる。ゴール前のこぼれ玉を押し込む運のいいポジショニングは、ウイニングイレブンじこみ。チーム初試合のGWSボンバー戦で、チーム初ゴールをあげたことから、ジョッピンカルのマイヤーと呼ばれる。2002年12月、ユース主体のチーム「じょっぴんベアフット」を立ち上げ代表を務める。2004年、背番号10をロビーに38000円で売却。



2 サトシ
1977.6.16 / 172/71

上記のマサとは幼年期から出席番号も並ぶ永遠のライバル。縦への突破とそのスピードからジョッピンカルのマハダビキアと呼ばれる。しかしボールより自分の体力をコントロールできないため、しばしはタッチラインにへたり込む様子は子供並み。WEの名手。



0 ジャンルカ
1947.2.20 / 170/67

クライフとどんぱ。孫もいる。しかしサッカーの魅力にとりつかれたジョッピンカルを代表する最年長選手。No:9ソウ選手の実の父親。ソウがあんまり楽しそうにやってるのを観て、つい入部してしまった。年季の入ったサッカーファンならではのポジショニングで、以降の親父メンバーたちの呼び水となった功績はいうまでもない。



6 トム
1980.1.17 / 175/60

北大卒業後も大学院に進学中の世渡り上手。合コンの手配で先輩諸兄メンバーの期待と願いを一手に引き受ける。家庭教師を引き受ける女子サッカーチームとのブッキング采配も期待。デビュー戦で大事なPKを外したことで、実はフロント内でしばらく「PK」という名前で呼ばれていた。アルバイトでドーレ君の中にも入る、


二期メンバー

16 ノリック 1964.8.12 / 178/75
1999年、コンサドーレとジャンプが観たくて函館から来日。自らを航空機オタと称する空飛ぶ日本人。丘珠空港横つどーむグラウンド等で火を焚こうものなら航空機の障害になる怒られる。背番号16は馬場信者のため、パンツは後ろ前、ソックスはロシニオールでやって来ることもあるおしゃれさん。2000年度ジョッピンカル・アウォーズ最優秀選手(もっとも素人に授与される)



18 ファントム
1976.11.6 / 179/69

室蘭からドリブルで来た男。ロメオカップ2000の得点王。最も正しいFW経験者として、FWってのはただ前で待っていればいいわけではないという事を、ジョッピンカルに初めて教えてくれた。建設事務所勤務で現場が多いため土曜日はなかなか参加できなく、ロナウドのように長いトンネルを抜け出せないでいる(ただし工事)
2003年、職場の同僚とチームを立ち上げたが復帰を期待される。



14 ぜるがでぃす(ゼル)
1965.2.3 / 171/70

謎の商社マン。ファンタジスタを目指すも怪我がちなところだけ目指してしまった悪例。ほとんどが自爆テロのような怪我ながら、骨折してもギプスで毎回ベンチ入りする精神的支柱。2001年10月、東京港区六本木へレンタル移籍。海外組招集の際には、札幌出張にかこつけて参戦もする。移籍先の経営母体の問題で凱旋帰国も近いとの噂。



12 ミチヒロ
1982.6.4 170/60

高校生時代、よりステップアップしたサッカーの現場に身を置きたいと、札幌社会人チームへの入団を決心したものの間違ってジョッピンカルに来てしまった不運な例。現在ではすっかりチームに染まって、これまでストイックに築き上げてきたものと将来を台無しにしてしまった。果てはさまざまな草チームに籍を置くようになった典型的サッカー大好き不良少年。



77 タケ
1973.9.10 / 172/65

ジョッピンカルのライバルチーム、大地蹴玉団 TERRA FCから突然の移籍(かけもち)。朝昼晩とサッカーをしなければ身体が火照ってしまうという典型的サッカー馬鹿。しかし時折、思い出したようにやる気をなくす。人間的に欠陥は多いが、サッカーにおける技術と強さは中盤でチームを牽引する。これ以降の移籍ブームの火付け役にもなるフィラディルフィアの種馬。



25 トントン
1976.8.17 / 171/73

足技とボールタッチの柔らかさは定評のファンタジスタだが、体力的弱く、喘息持ち(本人談)おまけに朝、弱い。好不調のはっきりしたプレーヤー。ライバルチーム、大地蹴玉団 TERRA FCの巨漢冷蔵庫くんと偶然に同じ職場だった事が試合中判明した(気づけよ、会社で)その冷蔵庫メンバーも2003年ジョッピンカルに移籍。現在、病気療養中。


三期メンバー

32 フクイ 1968.9.27 / 172/67
1999年大阪FCより来日。年齢の割に豊富な運動量でジョッピンカルの老いた森島と呼ばれる。学生時代からの経験者ではないものの(バスケ部)チーム唯一のGK経験者であることから、ゴールキーパーをすることもある。もし対戦でゴールマウスに彼がいたら勝ちを狙いにいったときである。したがって、ほとんど無い安心だ。現在、再び大阪にレンタル中。



23 モモンガ改
1969.8.5 / 165/62

当初「モモンガ」という登録名で入団。直後、本人が恥ずかしくなったらしく本名をもじった「ツボ」に変更を依頼したが、フロントに激しく抗議され、再びモモンガに改訂。よって彼のユニの背ネームにはいまでも「MOMONGA改」の烙印を背負わされることになったのだ。サッカー未経験者(バスケ出身)ではあるが運動量で前から後ろまでこきつかわれるユーティリティープレイヤー。



3 アベジ
1969.12.26 / 175/67

見栄県出身の陶芸家。かつて本家ジョッピンカルをこてんぱんにしたゴイスFCのキャプテン。初年度から勝手に参加していたが不良在庫ユニを買わされ正規登録。引退したゴイスFCでは最年長の立場もジョッピンカルでは年少組のため汚れ役。誰よりも熱いキャプテンシーとそれをはるかに越える薄い人望であたかも誰よりも古株のように振る舞うチームの「和のアートの達人」。



訂正、追加、修正希望はコメント欄まで。