言葉を超えた、さらにいえば言葉を思考する生命の存在をも超えた、およそ想像しうるかぎりの無上の快楽の瞬間がそこに横たわっているとしたら、はたしてそれを「言葉」で描写してみようなどと思うだろうか。

第五章-光あるうち光の中を歩め-絶対的な歓喜の断片(後編)
text by - 中村犬蔵

前編のあらすじ
■二百円相当のビスケットと紫のエヴァーをぶらさげた間抜けな姿の犬蔵は、現代の神秘・甘木ビスケットの資料館で放心状態にあった。『一体、誰がこんな物を!』そのとき、背後から犬蔵に声をかけるおじさんが!正体は既知外博士か男爵か!?

■『若いのに興味があるんだね』振り向くとそこには、どう見ても工場から出て来た感じの普通のおじさんが。

間違いない。関係者のヒトだ。パートのおばちゃん達から『部長』とよばれるおじちゃんは、どうやら資料館の主、ドン、殿らしい。『これはなんですか?!』初対面にもかかわらず正直な疑問をぶつけたが、答えは余りに明確で鮮烈だった。

『お年寄りのお客さんが多いからね。そうした人達に喜んでもらおうと思っていろいろ飾ってみました。(要約)』つまり、店を訪れるお年寄りのお客様を喜ばせようと飾っていた『古い物』がいつの間にか増殖し、店内を制圧したということだ。廂貸して母屋をとられる。怪獣マニア向けに言うとレギオンのような物だ。

■この甘木ビスケット資料館という怪獣墓場へ迷いこむ若い人間は珍しいらしく、SPレコードのプレイヤーを回して下さったり、お茶を勧めて下さったりと、おじちゃんは最上級のおもてなしをして下さったのである。物の量も凄いが、もっと凄いのはおじちゃんの博識さである。なにしろおじちゃんは、展示品の事なら何でも知っているのだ。何故なら持ち主だから。

学芸員『おじちゃん』のアナウンスは以下通り。

    ●(太平洋戦争勃発時の号外を前に)この頃って、既に紙が悪いよね。だもん、戦争も負けるって ば。だけどあの頃って、みんな勝つって思ってたんだね。マインドコントロールって、オウムだけじゃないよね。

    ●若い人は知らないかもしれないけれど、日本は昔、アメリカと戦争したんだよ。(知ってるって)

    ●(従軍カメラマンが撮った真珠湾奇襲の記録写真〜しかも実物〜を前に)ホントに生々しいよね。とにかく撮りまくったてかんじだね。あ、これ、この写真。(空母)赤城からゼロ戦が飛び立つ写真。奥の方でみんな手を振って送ってるでしょ。これ、関係者に聞いたんだけど、実際の出撃のときは撮影どころの騒ぎじゃなかったんで、この出撃風景は、あとで雰囲気つくって撮り直し他ものなんだってさ。

    ●(昔のカメラを前に)この頃のって、露出もピントも全部イチからマニュアルで、ホントに大変ね。だけど今のオートフォーカスって、全部にピントが合ってるのね。て事は逆にいうと、何処にも焦点なんか合ってない、薄っぺらな写真よね。

    ●(昭和初期の物と思われるおもちゃを前に)これ、ぜんまい仕掛けの自動車ね、こうやって(紙でできた)レールの上を走らせるんだけど、ゼンマイ巻きすぎると早すぎてコースからはずれちゃう。巻きが浅いと途中で止まる。こんな物で遊んで、子供に『ちから加減』を学ばせたのかもね

    ●(戦後すぐ頃のスライド映写機を前に)これ、鉄製で凄く重い。だけど、この方が機械として説得力あるよね。それと、こっちの(8ミリ)映写機。こっちだって、ムダがあるかもしれないけど奇麗だよね。細部もコッてるし。とっても機械って気がする。

    ●このヌード写真とか下着ってね、お年寄りがホントに喜ぶ。何だかああいう人達って、疎外されてるんだね。どこでも。本当に。

というわけで、気づくと1時間半も、そこでクダ巻いてました。

お忙しいのに、おじちゃんありがとう。で、肝腎の場所についてはおじちゃんの希望により言えない。教えない。語れない。さすがにお仕事の傍らにやってるのであんまり人が来すぎても困るそうです。だもんでいろいろとあったらしい取材要請もお断りしてるそうです。営業時間はわかんないや。しかも土、日定休。行くのはなかなか困難。(JPC関係者なら楽勝か?)入場無料だが、ビスケットの2ダ−ス3ダ−スは買うのが人として当然ですね。あと、タメ口禁止。

因みにその翌年の正月、おじちゃんから年賀状が届いた。そこには『工場長』の肩書きがありました。

了。 

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この物語は実話を元に、本人たちに無断で多少の根や葉をつけて脚色したものです。