2002.11.1(062号)
『サッカーそのものは存在しない。存在するものはサッカーに関わる人だけだ』

炎のまごごろを君に。
ベテランたちのララバイ

ぶえのすたるです!
け たる?むいびえん ぐらしゃす!

(スペイン語、訳:下唇を出しながら「ぅおーっす!もひとつおまけに、ぅおーっす!」)

更新が怠りまくったのは、私自身が非常に多忙だったためだ。
キリギリスのように暮らしたいのは山々だが、正月の餅代を稼ぐためにアリのように働いてしまった。
ああ、キリギリスになりたい、そして冬はアリに食わせてもらいたい。

さて、10月26日 午前9時。悪天候の予想しかできなかった日本中の天気予報屋をあざ笑い、これでもかと晴れたモエレ沼公園陸上競技場。
久しぶりの本家招集マッチ「ジョッピン・フルオリ・メンバー」 vs 「ホームレス」が予定通り行われた。

これは長く病気療養していた本家年長メンバー、No16:レッチリの退院記念マッチである。
昨年から身体を壊して入退院を繰り返してきたが、ようやく回復に向けて退院するとの噂を聞きつけたフロントが、まだ入院中にもかかわらず、勝手に「退院記念マッチ」興業を旗揚げしてしまったものだ。
世の中、とかく年齢がいってからの怪我や病気、特に成人病に関しては非常にデリケートに扱ってしまう。腫れ物を気遣うようにそっと黙っていてあげるのも確かに大人のつき合いだろう。
それでもフロントは共に闘ってきた同士として、酒場で声をひそめて話すような、影で噂をするような真似だけは辞めよう、と決議。
なにしろレッチリメンバーといえば業界ではしゃべるカメラマンとして有名。
本当は一番、いろいろしゃべりたいのは本人かもしれない、と相川メンバーの炎のアドヴァイス。さすがベテラン、ベテランを知る。
事実をパッシブに受け止め、ポジティブな姿勢を貫くのがジョッピンカルのモットーである。
いつも何点ぶち込まれようが、へらへらサッカーを楽しめるのはそのせいだ。

この記念マッチの対戦相手はホームレス。
ジョッピンカル記念すべき初対戦の相手である。
興業主旨をきいて是非とも私たちにとオファーを即答してくれた上、こちらも老体に鞭打って当時のオリジナルメンバーを集めてくれた。敵ながらあっぱれ、さすがベテラン。

ジョッピンカル創立者たちである本家メンバーが久しぶりに顔を合わせた。
現役当時は試合開始時間に家を出発する時間にルーズな本家メンバーたちも9時には定員に達し、計量をパス。奥方に付き添われたレッチリ・メンバーも外泊許可で無謀な参戦。
勢揃いするカビくさいタンスの肥やしとなっていた94年アッズーリモデルのユニ。
加えて、現ジョッピンカルメンバーたちも定員割れを心配して続々、応援に駆けつけスタンドを埋めた。サンキュー、パワーパフガールズ!

この日の集合写真は、じょっぴん岸辺のアルバムで自由にダウンロード&プリントできます。

スタメンは原点回帰。レッチリ、石井のツートップで、ジョッピンカル・デビュー戦を再現。

試合開始のホイッスル。

レッチリが軽くボールを前に出す。
退院記念マッチが始まった。

とたんに「もう駄目でーす」と手を挙げるレッチリ、交代。
流石、病み上がり。流石、ベテラン、引き際を知る。
想像しがたい人は、野球の始球式のようなものだと思ってください。

ゲームは予想通り圧倒的なホームレスペース。
あっという間に先制、ほとんどのメンバーが二年ぶりにボールを蹴ったとか、運動してないとか、次々にピッチに膝をつく。
殆どのメンバーは中年太りでユニフォームはきつく身体に巻き付く、まるでハム。
守備の要を期待された森井メンバーは、自分の想像した10分の1しかジャンプできず、クリアのつもりがバックヘッド、追加点。他、腰をやっちまった、と積極的にピッチを出る石井メンバー。
0-2で前半終了。

後半、体力切れのため、あっという間に定員割れしたディフェンスラインに、駆けつけてくれた現ジョッピンカル、まっちゃんズ投入。

鉄壁!まっちゃんズ(画はイメージ)

これで守備は安心できても、攻撃力の稚拙さはコンサ並。

ジョッピンカルのトンマージNIKIメンバーも、君、何マージ?状態、攻撃の要、Gパンも太りすぎのため足がもつれて自分で転ぶ始末。(想像しがたい人は、晩年のマラドーナを想像してください)ジョッピンカル名物、Bdの意図的なハンドもスタンドを湧かせるだけ。
ドゥンガ斉藤の炎のアドヴァイスに、条件反射で一時的に走り出すメンバーもねじが切れると止まってしまう。まるでチョロQ。柴田メンバーに至っては、もう会社を辞めたのになんでまた怒られてると萎縮される始末。

唯一の決定機は、ボヤンメンバーが抜け出して放った、給料のすべてモー娘。に注ぎ込んだシュート。
かろうじてキーパーが弾いたボールは放物線を描いてゴールポストに弾かれた。
結局、後半は0-0のままでホイッスル、0-2で試合終了。
善戦というなかれ、ベテランチーム・ホームレスが軽く交わしてきたのだ。
ピッチ上でホームレス10番すといこびっち(notストイコビッチ)が叫ぶ
「おい、いいかげんにしとこうぜ、こいつら勝つまでやるっていうからな」

ホームレスの不安通り、休ませないで第二試合が始められた。
定員ぎりぎりで参戦したホームレスの疲れを伺う高等な戦術だ。
今日も選手層は厚い、現ジョッピンカルメンバー、ミチヒロやボリス、カルロス、南米選手をわんこそばのように投入。
汚いと言う無かれ、だって、負けてもいいけど、一点くらい取りたいではないか。

ただし、今日は本家を立てるために、ヘルプメンバーたちにはディフェンダーとして我々を支えて欲しいと指示。
その甲斐あって、ゴール前の混戦から、本家メンバーぎんぞーが角度のない場所からシュート、ついに悲願のネットを揺らした。
しかし、非常なオフサイドの旗。
線審をしていたのはジョッピンカル、ローリーメンバー。
繊細なオフサイドラインは見逃さなかったが、場の空気を見逃したローリー。
(想像しがたい人は、2002ワールドカップ準々決勝でのスペイン代表の気持ちになってください)

これはまずいという事で、ローリーを副審からディフェンダーへと大胆なポジションチェンジ。
すると今度はローリーメンバー、ペナルティエリア内での痛恨のハンド。
ざわめく満員のスタンド。(想像しがたい人は、2002ワールドカップ・・以下略
幸いにもホームレスのPKは枠をそれた。
相手もかなり疲れているのだ。それでも一向に得点できる気配のないジョッピンカル。
業を煮やしたファンタジスタ・レフティ・カルロスメンバーが中盤高い位置まで上がってくる。
キャプテン・ドゥンガ斉藤の炎のお問い合わせも、相手はチャキチャキのペルー人、日本語は解らないふり。
でも、決定的なラストパスを私に二本くれたから許す。
もちろん得点には至らなかった。決定的なラストパスは文字どおりラストパスとなった。
だって、走りながらトラップできれば今頃、ワールドカップに出とるわい。
以降、試合終了まで、カルロスは高い位置を保ち、やむなくドゥンガ斉藤が炎の責任感でストッパーとして下がらざるを得なかった。
「仮説:南米人は外界に無関心である」

試合は現メンバーたちがしっかり守ってくれたが、本家メンバーに決定力がないおかげで、0-0のドローと、美しく終わった。
試合終了後、集まってくれた満員のスタンドに挨拶に行く両チーム。
それはお互いのチームで混じり合い肩を組んだ美しい風景だった。
想像しがたい人は2002ワールドカップ、三位決定戦後のトルコと韓国を想像してください。

こうして、レッチリメンバー退院記念マッチは好天に恵まれたまま幕を閉じた。

病気と闘う、という言葉がある。

病気を擬人化するとは不思議だと思う人も居るかもしれないが、ウイルスは確かに生物である。
宇宙の歴史によっては、今現在、地球を支配しているのが人間でなくウィルスであったかもしれない。
だからといって共生できないのであれば、人間に巣くおうとするウイルスと闘わなければならない。

幸いにも、私たちはレッチリメンバーは快方に向け、まもなく退院できるという嬉しいニュースを報告することができる。
もちろん油断は禁物だから、これからも慎重に検査を繰り返さなければならないかもしれないし、2006年ドイツ大会に間に合うかはまだ解らない。それでも、ジョッピンカル1969、No:16とNo:0の二人合わせて100歳ツートップが完成するのを待っている。

もし、あなたの身の回りに、重い病気や突然降ってきた不幸に苦しんでいる人が居たら、その時はどうか、どうせ自分は何もできないのだからと、妙な疎外感を与えるような真似だけはしないで欲しい。本当の痛みや辛さは本人や近しい人にしか解るはずがないだろうから、黙って見守るだけでいいと思う人も居るかもしれない。
でも本当にすべての人たちが心から応援するだろう。
それは決して偽善でない、なぜなら、不健康な毎日を余儀なくされる広告映像業界はもとより、30代後半から40代、50代が中心価格帯になってきたジョッピンカルにとって、誰もが起こりえる、同じ不安を抱えているのだ。

これからも私たちは、サッカーで負ける事をいとわないだろう。
絶対に負けられない闘いがあるから。

ちなみにこの日、ホームレスからレッチリメンバーにお見舞金として金一封が手渡されたという、超紳士的フェアプレイ、炎のまごころがあった事を記さずにはいられない。さすがベテラン。

逆にこの日、レッチリメンバーからもしっかりと500円会費をとったジョッピンカルはいかがなものか?

まごころを君に。

じょっぴん共同通信

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