2001.8.6(053)号
希望を抱き、恐怖に震え、畏怖にうたれる。究極の歓喜があり、耐えがたい絶望がある。サッカーという冒険には、人間のあらゆる感情が凝縮され、すべての営みが投影される。だから、刻まれた記憶は決して色褪せない。

英雄と悪漢- 速報、インターポンチネンタルカップ2001


札幌ドームまんせー!

四年目を迎えたインターポンチネンタルカップ
今年から、札幌草サッカークラブ選手権の座はロメオカップにその座を譲り、インターポンチは、リーグにも所属できない、練習もしない、素人親父中心のリクリエーションサッカーチームだけがエントリーされるという、レベルは低くとも、志は高い大会である。

栄えある希少なエントリーチームは、
ジョッピンカル1969
A.C GROSSA Da Bezza
ペルーちゃん(大会3日前にペルージンから謎のチーム名変更)
FC飲まれ隊
FC ホームレス

さらに、大会直前に主催者の都合でエントリー枠にひとつ空きができたことで、本家ジョッピンカル札幌の繰り上げ補欠出場が決まった。
大会全体から観れば大きなレベルダウンだが、今年のコパ・アメリカで直前にアルゼンチンに代わってホンジャラスがエントリーされたのと同じワールドクラスのはからいだ。
ただし、定員割れは必至のジョッピンカル札幌。同じジョッピングループの1969が1969年以前の生年月日を持つメンバー中心であることから、こちらにユースチーム、ジョッピンカルU-23のメンバーを足りない人数分補填した新チーム、11人祭りジョッピンカルV6で出場することになった。

初戦、自爆してベンチに戻ったゼル(左)。その後の診断で足首亀裂骨折と判明。しかし同じ骨折でも「前田森林公園で自分で転んで折った(事実)」と人に言うより「札幌ドームのサッカーの試合で折っちゃってさ〜」というほうが聞こえがいいだろうとご満悦。

大会はまず、グループA、グループBと3チームづつに別れ、グループ2位以内で、決勝リーグへ、最下位チームが最下位決定戦に駒を進めることができる。

グループA、ジョッピンカル1969が初戦を0-6と、早くも開幕ダッシュに失敗。今日も思い出づくりに貢献した。
対戦チームが、ああサッカーって楽しいなあ、と思ってくれればそれも興行団体としてのりっぱな勤めだ。

さて、今回の10時間にわたるインターポンチネンタルカップ。真夏の刺すような太陽の光が、みっちゃん以外の選手の肌を激しく焦がす。
それに輪を掛けて今回は、親父ばかりのリクリエーションチーム揃い。ほんの短い試合の待ち時間であってもビールを飲むなというほうが酷だろう。
各チーム存分に与えられた待ち時間も災いした。この炎天下でサッカーをする前にビールを飲むなというのは、砂漠でコップ一杯の水より一升の醤油瓶を飲めというようなものだ。

そういう訳で特にじょっぴんグループは積極的に戦線離脱、あるいは出場を逃れるために札幌ドームのタウンにしけこんで飲むものが続出。Bグループの新チーム、ジョッピンカルV6も初戦で開始直後に3点を失うという醜いスタートをきった。

ジョッピンカルV6の戦術はならではのイングランドスタイル。
つまり、自陣でボールを持つと、メクラで相手コーナーポスト方向に思いっきり蹴る。そして犬のように走る。
相手から奪ったボールでもすぐさまイーブンにしてしまう男らしい戦術だ。
しかし、奇跡は0-3で中だるみした前半終了間際に起こった。
ゴール前に放り込まれたアーリークロスに、詰めていたBdが反応した。

図ったようなクロスだった。狙って入れた現役高校生リョータの弾道は、おそらくじっとしていてもBdの頭に当たったであろう。それでもBdは飛んだ、テレビでみたように、ジャンプしても170cmにも満たないであろうが。
しかし次の瞬間、それはまるでスローモーションのように、Bdは堅く眼を閉じ、首がまるで亀のように身体の中に縮んでいった。
肩口に当たったボールはゴールキーパーのファンブルを誘い、ゴール、ここに反撃ののろしが上がった。

後半、榎木津ジョッピンカル代表は迷わずBdを下げ、U-23のツバサ、ナカタ、オバラ、リョータ高校生を中盤に4人配置。今回は親父チームの大会、まるで水系ポケモンが、雷攻撃に弱いように、親父は運動量豊富な子供に弱いのだ。
この日、おまえら本当に友達か?、と疑いたくなるような過酷なスペースへのパスにことごとく追いついた右サイド、100m10秒を切る少年、陸上部リョータのクロスと砲台として最前線にポジションチェンジしたボンバー二木のハットトリックでなんと4-3の逆転に成功して悲願の決勝リーグ進出を決めた。

これで気をよくすると次からの試合は、二日酔いで遅れてきたミチヒロ、昨年のチーム得点王ソウ、電話で呼び出され仕事中何も言わずに抜け出してきたロベルトまで投入。フィールドプレーヤー10人中、7人を入れ替えた。それだけでなく、前の試合に続いてゴールへ向おうとしている伝説の正ゴールキーパー綾を「てめえ何考えてるんだ」と引きずり下ろし、新札幌フル代表GK、福井を投入。破竹の快進撃で決勝へと駒を進めた。

なにも強引にメンバーを置き換えたわけではない。
かの日本代表トルシエがコンフェデ杯で抜擢した鈴木について「戦うライオンの眼をしていたからだ」と答えたが、すでに本家ジョッピンカル札幌メンバーは死んだ魚の眼をしていた。「出るか」と問うてもビールを片手に激しく首を振るでだけであったのだ。

決勝戦はジョッピンカル4年に渡っての低次元ライバル、ペルーちゃん(元、大同ほくさんソフテック)それでもフィールドにいる4年前のメンバーはこの日、リベロポジションに入ったドゥンガ斉藤、ただ一人である。
拮抗した試合もツバサの芸術的中距離ループで先制。ペルーちゃんのカウンターも新札幌フル代表GK、福井が神懸かりなセーブで防いだ。

1-0で折り返した後半開始直後、ジョッピンカルベンチはざわついた。
「初めての優勝のピッチに俺も立ってみたいなあ」というベテランならではのしたたかなわがままだ。しかし一点差では危険だ。このあたりの駆け引きと賢明な判断、さすが生き馬の眼を抜く広告業界で生き残った本家メンバーならではである。

しかし後半終了間近、ツバサの追加点が決まると、メンバーは一斉に激しくアップ、アピールを開始した。そして試合終了5分前、逆転をおそれながら前から順番にフォワード2名、次のボールデッドでミッドフィルダー5名、ゴールキーパーとフィールドを伝説の本家メンバーでフィールドを埋め尽くした。もちろん途端に激しいペルーちゃんの猛攻。
しかし時遅くタイムアップ。2-0、インターポンチネンタルカップ4年目にしてジョッピングループから初の優勝チームが誕生したのだ。詳細なる結果はこちら。

札幌ドームをウイニングランするジョッピンカルの後半5分のメンバーに対して、42000人の観衆はスタンディングオベーションで惜しみない怒号とブーイングを送った。

殆ど何もしなかったが優勝の瞬間ピッチに居たメンバー。満面の笑み。

さて翌日。
榎木津ジョッピンカル代表は、マスコミ各社と関係各位、あるいは非関係者に改めて記者会見で語った。
「今回は、もともと定員割れの危険からジョッピンカル札幌でなく、企画物ジョッピンカルV6で出場したわけなので、メンバー8人が本家メンバーでないのはいた仕方ない。しかし、今回のインターポンチネンタルカップの大会意義、親父リクリエーションクラブのための大会、と考えると、そのメンバーがすべて親子なみに年齢が離れた若者たちというのはいかがなものか?ここに私は決勝戦を無効試合とし、再試合を提案したい」
無効なのは決勝戦だけではないとしてもだ。

この知らせを聞いたペルーちゃん佐藤代表は、
「再試合にするには、決勝で暖かい声援を送ってくれたホームレスや飲まれ隊やGROSSA Da Bezza(要するにジョッピングループ以外全部)のみなさんに申し訳ありません。それより私は、後半終了5分前のジョッピンカルメンバーをみて無性に懐かしく感じました。私が会社に入った当時の事をつい思い出してしまいました。できれば、あの 後半終了5分前のメンバーともう一度サッカーをしとうございます。あの思ひ出の朝の河川敷、米里サッカー場で」

この申し出を受ける事ができないやつにtotoを買う資格はない。

そういう訳で伝統の一戦が急遽ブッキングされた。
8月18日(土)午前7時〜9時
米里サッカー場Bコート

もちろんこちらはV6でなくジョッピンカル札幌。しかも 後半終了5分前のメンバーが予告スタメンだ。
この午前7時という集合時間は夜型業界人には過酷な時間であっても、この日だけは正々堂々と元祖メンバーで戦う。もし仮に7人しか集まらなければ、7人で。

ジョッピンカル札幌、最後の聖戦である。

ロイタ一発・共同通信

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