「ARBやめちゃたね。モッズやってるけど」
旧友からのニュースは遅すぎたが、僕を驚かせるには充分すぎる。
ARB 活動停止のお知らせ
公式サイトでは、石橋 凌の『ARBからの脱退を決意したことを…』と続く。
「凌が抜けたから活動停止って、それ廃止だろーってことみたいよ。」

孤高のバンド“ARB”について僕があえて詳しく語る必要もないが、間違いなくリアルタイム世代だった。幾たびかのメンバーチェンジを繰り返したが、自分にとってのARBは、ほとんどの人がそういうように、石橋 凌、田中一郎、キース、サンジの二期時代。
アルバム「BAD NEWS」は死ぬほど聴いた。
ただし、興味を持って初めて聴いてみようと思うのならおすすめしない。
今聴き返せば、音はぺらぺらだし、だっせーし、今時ならもっと上質な商業音楽が溢れてる。
ただ、当時は衝撃的だった。奇抜さでなく、剥き出しなARBのロックには日本人の身の丈にあった、まっすぐな「唄」があった。
後に、俳優の世界へきっかけを作った故・松田優作(俺の高校の先輩なんだよなあ)が初めての監督作品「アホーマンス」で、素人の石橋凌を抜擢したのを不思議がるマスコミに向かって一喝したくらいだ。「唄を聴いてないからだ。ロックを!」
パンクムーブメント以降は、もっとソリッドで今聴いても色褪せていないビートバンドをいくつも好きだったが、実はARBが結構好きだった、なんていう人と出会うと、お互い、斜に構えてても実は胸の内に熱いものを持っている事を暴露してしまう気恥ずかしさがある。
それだけ、今でも多く潜在的ファン(元)が居たり、多くのアーティストに影響を与えたARBだが、おそらく、今回の活動停止の理由の多くの部分を占める最大の不幸は商業的には一度も成功したことがなかった事だろう。
理由はふたつあるのではないかと思われる。
ひとつは、セールスというものが実は熱狂的ファンより、むしろファッションとして受け止めるミーハー的な層に支えられているすれば、ARBのような、ファッションくそくらえ、みたいなアーティストには、宗教的で精神的ファンか、まったく知らないかの両極端の層しか居なかったからかもしれない。
ふたつめは、度重なるメンバーチェンジや活動停止を経て、すでにファンには充分すぎるほどの喪失感を与えていた。いわば、ARBは、お布施の必然性を感じさせない宗教だった。
そして、僕たちはそれが、もうすでにこの世のものではない偶像崇拝であることを充分すぎるほど知っていた。
22で初めて上京したとき日比谷野音でARBを観た。(たしかモグリで)
すでに、オリジナルメンバーの田中一郎の姿は無く、元BOW WOWの斉藤光浩がギターを弾き、ベースはサンジが脱退した直後だったため、ストラングラースのジャン・ジャック・バーネルがヘルプで弾いてたのを覚えてる。
僕の喪失感はすでに前年の田中一郎脱退の時点から始まっていたはずだが、東京で初めて観る知らないARBの姿にイノセンスの決別がダブった。ステージを遠巻きに眺めながら何故か、もう帰れないな、と感じた。
その後、楽屋でびっくりするほど顔のでかい石橋 凌に初めて会ったが、言葉を交わすよりも内田裕也と安岡力也が怖くて逃げた。
1990年、松田優作の死を機に、俳優業に専念したいと石橋 凌はARB解散を発表。
残りの人もこれで完全に喪失感にとどめを刺されたろう。
しかし、それから7年後、新宿筋の知り合いから新宿ロフトの20周年記念イベントに石橋 凌がシークレットゲストとして出るという情報を聴いて、わざわざ観に行ったくらいだ。本当に一曲だけ歌った。前述の映画「アホーマンス」での挿入歌「アフター45」だった。
それが機だったのかは解らないが、翌年からARBは再結成された。
新しいギタリストとベーシストは若い元ARBキッズだった。
非難もなく、再結成された事実「のみ」は多くのロックファンに祝福された。
そんな風に、さまざまな時代に顔を出してみたが、結局、ヒットチャートはもちろん、セールス的には最後まで、まるで成功しなかった。
ARB、最盛期の時代はロックにとっては商業的暗黒時代だったにしても、音楽バブル(なんてものがあったとしたら)の時代でもまったく報われなかった。新しい若いファンでさえ、ライブでは昔の曲で異様に盛り上がり、新曲になるとみんな一斉に席に座った。悪気はない。ARBという何年も前にすでに死んでしまった看板に呪われてしまったのだ。
自然とステージのセットリストにも昔の曲が多くなる。
そうなると表現者として創作意欲を失うどころか、表現することが目的だったはずなのに目的自体を履き違えてしまう。
現ストーンズや、アンプラグド以降のクラプトンに代表される過去の亡霊のようなアーティストたちが上手に割り切って活動できるのは、ARBと違って過去に桁違いの成功体験があるからだ。
だからと言ってみんなもう興味がないわけではない。
実際、僕にしても、石橋 凌にはずっと唄っていて欲しいし応援もしてる。でも、再結成のアルバムだけは当然買っても、ろくに聴けてないし、その後どれだけリリースされたのかも知らない。きっと日本中のARBキッズ(元)がそうだろう。
そうしてARBは消耗していった。
「きっと俺たちみたいな、ほとんどの人たちに腹が立って辞めたのかもね」と僕は告げた。
「自分たちなりに消化して昇華させてたんだけどね」
うまいことを言うもんだ。昇華とは固体が液体(セールス的成功?)をすっとばして、そのまま気体になること。
ARBという個体は死んだ。
それでも唄は残る。
記録は残せなかったが、ARBはあの時代に「唄」をもっとも多く残したロックバンドだったのは間違いない。
今でも本当にそう思う。
伝説となっている1980年1月4日、日本テレビの深夜放送「金曜娯楽館」のニューウェーブ特集。
Posted by enokizu at 2006.4. 5