新聞を読むようになって、僕は老人になった。少年と少年のような青年にとって社会はない。この世にあるのは自分だけだ。家族、友人、会社の先輩、周囲の人は自分とのかかわりとしてのみ存在している。この世のことは知る必要がない。
だから情報は価値がない。新聞はいらない。
あるコピーライターの言葉だ。
小説や映画、音楽、時にはビデオゲームやインターネットもイメージだ。
それらを純粋に自分の世界として体験できなくなったとき、僕は少年でも少年のような大人でもなくなっていく事を知るだろう。
買っただけで満足して積み上げられたままの本。
6000円もしたジェラルド・クラークによるカポーティの伝記や平成元年のユリイカのバックナンバー。装丁がとても美しいレイモンド・カーヴァーの単行本。
iPodに入れたままの映画「LOCK,STOCK & TWO SMOKING BARRELS」
評価を受けつけないケイト・ブッシュ、悪しきビヨーク化するACOの新譜。
60時間も拘束されないのなら体験してみたいと思う、ファイナルファンタジーの12。
「トウェルヴ、だよ」と娘キキ(7歳)に指摘される。
若菜ちゃん(7歳)にも脈絡もなく訊かれる「いつ、ローン終わるんですか?」
娘から何を吹き込まれたのか解らないが、そうやって払っているうちが僕の未来だ。
「君がお嫁さんに行って、そのあと出戻ってくる頃だよ」
インターネットを情報として受けとるか自己投影として楽しむかは受け手次第だ。とてもいい年齢の大人が書いたと思えない稚拙な日記でも、稚拙な体験しか与えられないわけではない。小説とは違う。
見知らぬ他人の離婚訴訟日記をライブブックマークに登録している。
お互いの愛情が深いほど、別れたときの憎悪が激しいというのは嘘だ。不幸にもお互いのバランスがかけ離れたすぎたときにそうなるだけだ。ここの奥さんははじめから旦那のことを愛情以外の物差しでしか見ていない。そういう女性を体験として知っている。
「いいの?わたしにそんな知恵つけて」
優しきガールフレンドがにっこり笑う。
そうやって僕は年齢を重ねていく。
Posted by enokizu at 2006.3.20 | トラックバック