作家で誰が好きだと聞かれたから「トルーマン・カポーティ」と答えたら、英文科卒のガールフレンドに笑われた「だって、まるで卒論のテーマみたいじゃない」
トルーマン・カポーティ 【Truman Capote 1924-1984】
(なんか、ハンニバル・レクターみたいだ)
「私はアル中である。
私はヤク中である。
私はホモセクシャルである。
私は天才である」
ニューオリンズ生まれ。南部の各地を転々として育った。
その幼年時代について、本人はこのように綴っている。「両親は私が4歳のときに離婚した。それは、どちらにも不幸な複雑な離婚であった」母親に育てられたが、彼女は後年自殺している。「主としてそのために、私は幼年時代のほとんどを、親類の家を転々としてすごし、ほとんど学校に行かず、独学同様に勉強した」
23歳で出世作『遠い声、遠い部屋』(他者の声、他所の居場所。ホモセクシャルへの屈服と和解みたいなもんだ)を発表し、若き天才作家として注目を浴びた。
その後もO・ヘンリ賞受賞の短編『ミリアム』(この時点ですでにカポーティのスタイルは完成していた)『ティファニーで朝食を』
(カポーティは映画とオードリー・ヘプバーンに不満だった。本来マリリンモンローがモデルだったし、適役はジュディ・フォスターだと後に語った)大ベストセラー『冷血』
(今日のノンフィクションというジャンルはここから始まった)など、1作ごとに華やかな話題をふりまきながらも、数々の奇行、作家としては珍しくゴシップの欄の常連になるなど「タイニイ・テラー(小さな厄介者)」と注目を浴びつづけが、1984年8月25日、遺作『叶えられた祈り』
を完成させないまま、『脳に受けた重度の損傷』と彼自身忌み嫌っていたロスアンジェルスにて心臓発作で死亡。知能指数は215。
2005年、アメリカにてカポーティの自伝映画が公開される。(おそらく日本じゃやんないだろうなあ)
僕は現在の仕事に於いて、いわゆる技術的なもの以外のすべてをカポーティに学んだ。
「何を書くかではなく、いかに書くかだ」
文節(画、カット)をひとつづつ拾い上げ埃を払い、表面を見るだけでなく、内側から見る。そして、もう一度、文脈として並べ直す。
気品(スタイル)とは人だ、とカポーティは語る。
すぐれた表現はいつだってとてもシンプルだ。
センテンスの短い文章がリズムを作り、韻を踏む。音と単語の連続。
表現することに対して非常に意識的であれば、そのスタイルはどんどんシンプルになる。そして、ある情感は、相手にはっきりと伝わる。
なあんて、そうやってカポーティの文体を偉そうに語るのは止めておく。残念ながら僕にその資格はない。すべての著作を原書で読んでないからだ。
トルーマン・カポーティがこの世を去った今、確固たる形で残っているのは、わずか数編の長編小説と限りなく美しい幾つかの短編小説しかない。それでも、今もなお、文学史が最も苦手とする作家である。
冒険小説でもないし、エンターティメントもない。ビルも爆発しない。
ただ、人と人とがそこに居る。(または在る)
それでも、彼の作品にはいつも共通する要素があった。
通俗的な言葉で言うところの「切なさ」「儚さ」
決してそういう直接的な表現はしないし内容もそうでない。
唄にたとえるならメロディーも歌詞もそうでないのだが、その人の声そのものが与える何か。それは、読者の琴線に触れ、遠く隔たってしまったイノセンスへの憧憬を呼び起こす。
カポーティについて論評する識者たちは、彼の想像の源泉は「幼年期のイノセンスの呪縛」からなるものだと語る。
確かに主要な小説の主人公がみんな孤児か、あるいは母性的な愛を失う事への強迫観念を抱いている。そして、欠落した大抵の人間がそうであるように、他の快楽で埋め合わせしようとした。そして、その中にもあった幼年期の小さな幸せを病的なまでに唯一の聖域として最後まで守り続けた。
しかし、最近になって個人的に思うのは、天才を吹くのも、幼年期の愛情の欠落を誇張気味に告白したり、ニューヨーク育ちの癖に南部をことさらに強調したりするのも、彼一流の確信犯的なただの技術的装飾だったのではなかったのだろうか。
(全部がそうだとは言えないにしても)
最初は上手くいった。
彼自身のミステリアスな虚色は、彼の精巧な文章に昼と夜の顔を与えた。
なにしろカポーティの文章 - その導線や構成、落としかた、突き放しかた - は恐ろしく精巧で、今でも決して色褪せていない。
数式仕立てのようなミステリーやSFのジャンルにこういう作家は居ても、純文学(そういう言葉がまだあるのであればの話だが)のスタンスでそれを実践した作家を僕は他に知らない。
ただし、その精巧さというのは、リンゴやオレンジのように神々が作りたもうし精巧さではなく、幾重にも歯車を重ねられた機械式時計の精巧さに似てる。
「私は天才である」なんて自分で言う人ほど、自分自身がが天才でない事を痛いほどに知っているはずだからだ。
実際、終生彼は、周囲の人間の愛情、そして名声に飢えていた。
精巧な天才で在り続けることが、彼に欠落した幼年期の愛情を埋め合わせてくれる唯一の絶対条件だと錯覚したかも知れない。
やがて、彼自身が創りあげた虚飾を演じ続けること代償として、彼が纏った虚色は彼自身がもはやコントロールできないほどに大きくなって彼の中に居座り続けた。矛盾が起こったのだ。まるで魔界との契約かの如く『冷血』の大きすぎる成功は、カポーティから創造的な想像力を奪った。
もはや晩年のカポーティは取り憑かれていたようだった。
生涯の最高傑作になると彼自身が10年以上に渡って公言し続けていた『叶えられた祈り』は結局、カポーティの祈りを何一つ叶えてはくれなかった。
彼がいかに苦しみ焦っていたかのは、編集者の反対を押し切って最初の4章だけを『エスクァイア』誌に発表した事で解る。それは傑作の片鱗とは言い難い、社交界をタブーを暴露したただの辛口のゴシップ小説でしかなかった。
おかげでカポーティは社交界を追われ、上流階級からの絶縁が彼に与えたダメージは、彼を精神的破滅へと向かわせた。
そういう意味でも、この煮詰まった執筆中に苦し紛れに出版されたテキストの寄せ集め短編集『カメレオンのための音楽』が、本当の意味でのカポーティの遺作ではないだろうか。
この中でカポーティは新しい表現手法を模索し、迷走する。
会話形式の文体が多いが、後にカポーティは「スピード感をつける最も有効な方法」だと語った。しかし、もはやこの作品は作家として人々を魅了することはできなかった。
それでも、僕は性格が悪いので、この小説とは言い難い、破綻した堕天使の散文を妙に気に入っている。
その中の一編でもあるマリリン・モンローを綴った最高のテキストが『うつくしい子供』
街の喧噪から逃れたラストシーンの海岸で、カポーティはその数日後には死んでしまう事になる彼女に訊ねる「ねえ、マリリン。どうして人生はこんなにくだらなく、腐っていなければならないんだろう?」
ちょうど、カポーティ自身も精神的に追いつめられていた。
カポーティは1984年8月、旅行先の友人の家で枯れるように死んでいった。
59歳だった。
彼が最期につぶやいた言葉は、バディ、だったという。バディ…
それは少年時代の彼のニックネーム。彼の幼年時代のたったひとつ信用を与えてくれた従姉スックおばあちゃんが彼を呼んだ名前、バディ…。
幼い日の思いは誰でも生涯に渡り断ち切る事はできない。
短編『夜の曲がり角…』の中で、カポーティは眠ろうと努力して、シャム双生児と呼ぶもうひとりの自分にこう話しかけている。
「しかしまずお祈りをしよう」と彼は自分に言う。「子どものころ、家が大きすぎて寒かったからスックやクイニー(彼の犬)とキルトを何枚も重ねて同じベッドで寝たときによくしたお祈りをね」
「今床につきお祈りします。神様、私の魂をお守りください。そしてもし目がさめる前に死んだら、どうか私の魂を受け入れてください。アーメン」
それから彼は自分におやすみをいう。
「君のこと愛しているよ」と彼はいう。「私も君を愛している」と彼は答える。
「愛し合ったほうがいい」と彼はいう。「なぜって、所詮、われわれにはお互い相手しかいないんだから。われわれは孤独なんだ。墓場までね。これは悲劇だと思わないか?」
「君は忘れてるよ」と彼は答える。「神様もいるじゃないか」
遺稿はほとんど残っていなかったという。
本当は『叶えられた祈り・完全版』が、どこかの南の島の金庫にでも隠してあって、いつか世の中を驚かす、なんてのが確信犯カポーティらしいのだが、ありえないな。
おそらく本当に書けなかったのだろう。
それでも、小説家で誰が好きだと訊かれれば、最後まで幼年期の聖域を守り抜いたこの小柄で嘘つきな天才じじいの名を、この先も僕は即答するだろう。
Posted by enokizu at 2006.2.11 | トラックバック