昨今の政局や外交のせこさを嘆く諸兄。
仕事上のせこい人間関係にストレスを貯めている諸兄。
そんな時は日本の幕末史に触れると勇気が出る。かつて日本人であることに誇りを持てる時代があった。
そういう訳で今、ここ(事務所)では猛烈な幕末ブームだ。
デスク脇のご本尊。
フルコンプリートしたブルボンのフィギア「幕末サムライ」(薩長同盟)
シークレットはおりょう。
幕末史をエンターティメントしてくれる最良のテキストのひとつは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」
かつて、ハリウッド映画ばかり観ているとフランス映画が観られなくなるのと同じ理由でノベルズはもちろん、ドキュメント、歴史ものは意識的に避けてきたが、司馬遼太郎せんせい、ごめなさい。もし読んでなければ、大至急読まなければならない。運が良ければ古本屋で俺のように一冊100円で買えるだろう。
ただし、幕末史を「竜馬がゆく」だけで理解するのは危険だ。
だいたい司馬遼太郎にしてもわざわざ「竜」馬と表記している(小山ゆうの『お〜い、竜馬』も同様)くらいで作者の思い入れと語りやすくするためのフィクションが相当ちりばめられている。
「薩長同盟も大政奉還も、ありゃあ全部、龍馬がやったことさ」
とほら吹き親父の勝海舟が晩年語ったことからも、薩長同盟も大政奉還も坂本龍馬の発案でない。
「竜馬がゆく」は坂本龍馬の偉人伝ではなく、最も現代人的思想で読者が感情移入しやすいキャラクターを使って幕末を描いたものだと理解した方が良さそうだ。
それでも、実際、幕末史の入門テキストとしては秀逸だし、坂本龍馬は現代に於いてもとても魅力的だ。後日、この「明治維新において結局何もしなかった男」の憂鬱についてはゆっくり書く。
さて、本題。
幕末という最も日本のドラスティックな時代は他にも恐ろしく個性的な人間を次々に産み出した。これはもう奇跡としか言いようのない偶然だ。その多くの要因は260年続いてきた徳川幕府の歪みからなるものだろう。
たとえば現代。
政局や経済、外交に破綻が起きたとき、こういった天才的、かつ個性的な日本人たちが再び現れる可能性があるだろうか?
決して、ない。
明治維新という革命と引き替えに、日本人はサムライの志を失ってしまったからだ。
後年、三島由紀夫が国を憂う。
新撰組の近藤、五稜郭で散った土方しかり。志士を憂い意に反して担がれた西南戦争でもう充分だと自決した西郷隆盛を最後に「いかに死すべきか」を重んじる志士の時代は終わった。
たとえば、資本主義社会のカンパニーの目的は繁栄と継続。
経営者の責任は会社を存続だ。
「いかに死すべきか」を本気で前提としたカンパニーなんてものがあったら、そのパワーは世界を動かすだろう。
日常のささいな事に腹を立てたり、憤りを感じるとき、僕は志を未来に託して散っていった志士たちの事を思う。現代、僕たちが日本人であることを誇りに思えないと思うのであれば、彼らは無駄死にでしかない。
つー、わけで、先日、長い出張から帰ろうとしたら連休のために全便満席。
頭に来たので西回りで帰ることにした。明治維新発祥の地を確かめるのだ。
そして、彼らの墓前に参らずにはいられない。
尻は重く、腰は軽くあれ。(あれっ、逆か?)