たとえば、かつてグラビアで登場した井川遥に誰もがあんなに惹かれたのに、テレビで見る彼女にまるで魅力を感じ得ないのは何故だろう。

単に彼女がフォトジェミニックだった。
終わり。
いつも、文章が長いんだよ、と指摘を受けたので、よくある日記みたいに短く書いてみた。
ついでに、いつも句読点が多すぎるんだよ、とも指摘を受けたのだが、これはカポーティにリスペクトされたものだ。
長い文章を書ける人を尊敬する。そしてそれを最後まで読む人はもっと尊敬に値する。なぜなら、おそらく、この先を読んでも上記以上の結論はないからだ。ここまで読んだあなたも充分に奇特だ。
閑話休題。
たいていの女の娘は「決め顔」というものを持っているらしい。
そうでない女の娘も「決め顔」を持ちたいと願っている。
「決め顔?そんなもんねえよ」なんて嘯いている女の娘ほど毎晩、鏡の前や携帯電話の自分撮りで自分の決め顔を模索している。例外はない。
井川遥の決め顔はやはりあの、まるでレイプされた直後のような魂が抜けたような表情なのだろう。まあ、ここではそんな、モデルや女優、アテンダントなど職業として当然磨かなければならないテクニックの話だけではなく、もっと身近な話だ。
だから、そんな大層なフィニッシュブローとかでなく、単純に水増しされたベストな表情の瞬間。一番肝心なのは、例えば初対面の相手に挨拶したり、カメラを向けられるときに瞬時に都合良く用意できなければならない。よくありがちなのは眼をかっと見開いてあごを引いて口元だけで微笑むようなやつ。どの写真みても、この娘、同じ顔してるね、といった類のやつだ。
大抵、眼が笑ってない。
大人になればどんな女性でも化粧するように、相手に水増しした好印象を与えたいのは当然だ。イミテーションでも構わない。化粧美人おっけー。素顔との落差がたとえどんなに激しくとも、それが女性としての気骨の表れだ。女性の顔の好みを訊かれれば、角度や表情によって美人でもそうでなくも見える人と答えよう。ブスフェチとは違う。壊れかけるものにはそこはかとないエロスがある。
こんな事、つらつらと文章化する俺も相当嫌な男だが、映像の仕事を長くしてると解ることがある。女性を綺麗する役割はヘアメイクや演出の仕事(責任)ではない。切り取る側の責任だ。
女性が綺麗になりたいのは自分が気持ち良くなりたいだけのように、俺もガールフレンドが綺麗だからいい気分になるのではない。数ある女性の中から彼女を選んだ自分のセンスに満足したいのだ。
だから、女性は誉める。たとえどんなに見え透いたお世辞でもいいから徹底的誉める。たとえ相手に嘘だと見抜かれても絶対に悪い気はしないもんだ。もうよせ、と言われても誉める。
女性に生まれたからには、世の中の男性が知らない努力を沢山しているのだから、せめて気持ちよく努力できるようにフォローしなければならない。後は男の責任だ。
たとえば、ぱっとしない男でも、素敵な奥様を連れているのを観て、ああ、この人、本当はすげーいい男なんだろうなあと思うこともあるし、逆にそうでない場合は男を下げる。不思議と逆はない。
釣った魚にエサは与えない、なんて言ってる男はすでに諦めた男だ。髪型やメイクを変えても気がついてもらえない男ならもう取引を見合わせた方がいい。そういう男に限って自分の無能を女のせいにする。さげまん、とかさ。
あなたは自分の連れ添いの決め顔をまだ覚えているだろうか?
だからって、女性に向かって決め顔を見せてよ、なんて言うのはとんでもなく失礼なことだと知れ。
決め顔を知っている女性は幸せだから、せめて自分の彼女の決め顔は男が見つけてあげたいなんて事も思う必要もない。オスである以上絶対無理だし、だいいち決め顔が必要なのは上っ面のつきあいの時だけだ。
世界中の女の娘がもっと綺麗になれますように。
終わり。
Posted by enokizu at 2005.3.18 | トラックバック