音楽的ルーツを愛せる幸せ

あらためて振り返っても、90年代は音楽的に不毛だった。

サウンドはあっても唄が無かった。
抽象的概念でなく、たとえば「TIME AFTER TIME」みたいなすぐれた楽曲は産まれなかった。
そういう意味で70年代の終わりから80年代が音楽的に最もドラスティックな時代だったと言っても異論はないだろう。ビートルズが死んでクロスオーバーとか公開スパーリングみたいな音楽がLAあたりで煮詰まって、パンクムーブメントから始まるニューウェーブの台頭。
そういう時代を、たまたまもっとも多感な時期をとしてすごしてきた僕らは幸せだ。

パンクというのは音楽のジャンルでも様式でもなく、体験だ。
その証拠にパンクの洗礼を受けているか受けてないかは、ほんの少しの世代の差でありえる。具体的には30代〜40代の間で二分する。

体験というものは血だ。幸せな80年代初頭を体験した僕たちに刻まれたDNA。
例えば「カモン・アイリーン」なんていう一発屋でしかなかったのに、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ、というバンド名を覚えていられるのは何故だろう。初対面の相手にも通じる言語がある。「ロンドン・コーリング」みたいなポーズ、とか「勝手にしやがれ!」(NEVER MIND)みたいなロゴレイアウト、みたいな表現で解る人は幸せだ。ゴダールを連想する人は一世代前。

まあ、何もその時代の音楽ばかりを啓蒙してるわけではない。
今時の若い娘にはラモーンズのアルバムの違いは判別できないだろう。サンディニスタとか聴かせても「アマチュア?」とかって言われるかも知れないし、当時からサウンドリファレンスにしてきた「アヴァロン」も今聴きかえしたら、あれ?って思うもんな。

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さて、不思議なのは前述で二分されると表現した不幸にもパンクをかすれなかった谷間の世代だ。
谷間といってもきっと何もなかったわけではない。アシッドジャズ(死語?)とか、スウェーデンポップみないなアコースティック系も流行ったし、日本ではフリッパーズギターとかの渋谷系?
「渋谷系はSMAPの登場によって死んだ」というのは世界のさんの名言だ。
そういえば、ニルヴァーナとかもそうなのかな。嫌いだけど。
カート・コバーンを馬鹿だとは言わない。気の毒。ただ気の毒だ。

そんな90年代を多感な時期として過ごしてきた世代の不幸。
それは、ほとんどがルーツを愛していない事実にある。まるでチルチルミチル。彼らの音楽的執着のなさはなんだろう?そういう人たちには、試しに好きな(その頃の)アーティストを聴いてごらん。即答できない輩のなんと多いことか。
俺?デビッドボウイ、トーキングヘッズ、ケイトブッシュ、訊いてない?

そのせいか、ルーツであるはずの90年代でなく80年代を飛び越して60〜70年代の音楽を啓蒙する人が多い。例えばブルースに傾倒するその世代のミュージシャンのなんと多いことか。まるで自分のルーツを認めたくなくて、その親探しをしているようなもんだ。だからチルチルミチル。

逆にもっと若い世代には何の心配もない。音楽的には本当に柔軟性に富んでいる。
これは安易に推測できる。直接、影響を受けたアーティストが、ちょうどルーツを愛せる世代に呼応する。そして彼らを通して、彼らが多感な時期リスペクトされた音楽を体験できている。いいとこどりだね。そこを狙ったのが、昨今の再結成ブームや再発、ベスト盤ブームの類。もううんざりだ。自分の首を絞めてるぞ、レコード会社。
身近にはもっと新しく洗練された音楽が溢れているし、U2、レディオヘッド、シェリル・クロウ…混迷の90’をかいくぐってきたフェイバリットなアーティストも沢山居る。

自分が直接、影響を受けたミュージシャンがリスペクトされたアーティストたちだからって、特別に啓蒙する必要はない。冷静に聴いてごらん、今の君たちのほうがよっぽどいい音だしてる。
洋盤・邦盤・プロ・アマチュア問わず、音もいいし、ポップだし、詩も広告業界よりずっと手あかのついてない言葉を再生できてる。彼らは僕たちの時代に「日本語のロックはありえるのか?」とか「日本にポップの血はない」とか真剣に論議されていたことなんて想像できないだろう。

70年代から80年代にかけては確かに音楽的に幸せな時代だった。

だからといって、もうそんな20年前の音楽ばかり聴いてはいられない。
だいいち、そうしないと、20年後に聴くものが無くなるじゃあないか。

ただ、自分の音楽的ルーツを愛せる幸せに感謝する。

Posted by enokizu at 2005.3.13

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