まるで短編小説のような不思議な長編、村上春樹の「アフターダーク」をいまさら読了。
ずっと前から買ってあったのに読めないでいたのは、タイミングを逸していたからだ。読書の時間がなかったわけではない。多くの人がそうするように、ストーリーに合わせて23時50分から読み始めるタイミングに巡り会えなかっただけだ。
かというものの、残念ながら誰がどんな風にだらだらと読んでも3〜4時間で読み終わってしまうだろう。つまり、せっかくシンクロした時間を追い越してしまう。まあ、そんなことはどうでもいい。困ったのはこれまでとは違う肩すかしな読後感。これでいいのか?と不安になる。
正直、残りわずかとなって急に本の背表紙を確認したもんだ。(上巻)とか書いてないか?せっかくキャラが際立ってきたのにもったいない。この後「アフターダーク2」とか出るんだろうか?無理だ。もう夜が明けてるもんな。
テーマはデビューからずっと感心するくらい一貫している。「喪失」そして「井戸掘り」
それでもなんだか公開スパーリングのような小説だった。
三人称で描かれてる事を特筆する人も多いが、別に三人称は初めてのことではない。前作「海辺のカフカ」の片側の章は三人称だったし、地下鉄サリン事件を扱った「冷血」的長編「アンダーグラウンド」もノンフィクションだから当然三人称。
そもそも三人称が有効なのはそれぞれのキャラクターを最も際立たせたい場合。てっきりいつものお約束で、最後にはそれらのキャラクターが一気に収束されるのだろうなとか思ってたもんだ。はて、支点が三人称なだけで、今回の力点はそこにあるのだろうか。雰囲気的にレイモンド・カーヴァー原作の「ショート・カッツ」を連想したが「アフターダーク」の場合、主人公はやはりマリであると特定できる。
個人的には村上春樹の文体が好きなのでストーリーどうのはたいした問題ではない。
たしかに文体というのは所詮スタイルでしかないのだが、音楽にたとえれば、詩やメロディーが退屈でもそこに響く音(もしくはアレンジ)だけで満足できる事がある。もちろん重要性は等価であるべきだが、そういう意味では相変わらず音のいい作品。ただ今回はその音の出し方もちょっと違う。
とにかく実験的作品。視点を読者に委ねたり、眠るエリを徹底的に比喩だけで一章綴ったり、段落毎に意図的に変えている文体。コムギとコオロギの台詞回しは、カポーティの「カメレオンのための音楽」を連想した。カポーティは映画の脚本を意識したわけでなくスピード感を失わないための文体模索のひとつだと語っていた。デルヘリ娘への暴力シーンのような、あえて苦手な描写に挑戦してるのもここ最近のサーキットトレーニングの一環。
こうやってつらつら書き連ねると、この作品を辛評する人(自分も含めて)は出来映えより、その変化についていけてない不満のようだ。いままで居心地の良かった部屋をなにもいまさら模様替えしなくても、というような。
読者の役割は感じることで考えることではない。
しかし、もはや表現に於いて、結論めいたオチは必要ないのだろう。
今回はまだ親切なほうだ。デビッド・リンチだったら、きっと時間軸をバラバラにして、全部眠る姉エリの夢にしてしまうだろうな。しれんしお。
フットボールに於いても敢えてドローゲームを狙わざるを得ない時がある。
「なにも起こらなかった」わけではない。
Nothing Happen - その時「Nothing」が「Happen」したのだ。
村上春樹は「アフターダーク」で、新しい井戸掘りを始めた。
どこに向かおうとしているのかは解らないが、たとえば「アンダーグラウンド」みたいなルポタージュを徹底的にフィクションで描いてみたら「アフターダーク」にまで昇華できるのではないのだろうか?
まったく新しい文体のまったく新しい小説。
もし、いつか村上春樹がそれをやり遂げたら、
50年後に千円札になるな。
しれんしお。
Posted by enokizu at 2005.2.14 | トラックバックnothing がhappen
すごい名言ですね。
時々こちらを通りすがりますが、無料でこんな文章が読めるwebの幸せ。あまりにも話の引き出し多すぎて、ブラザーズ・クエイの短編映画を思い出しましたよ。
いや、単に引き出しが多いつながりで・・・・・・浅いオチでした。
通りすがってくれてありがとうございます。
いつも引き出しは開きっぱなしで片づけるのが不得手なんですが、懲りずにまた通りすがってください。