アンティーク時計は機械式の夢を見るか?

日本での時計の3大ブランドシェアを予想しよう。

ロレックスやオメガではないことは確か。G-ShockやSwatchでもないだろう。
思うに多分、ドコモ、au、Jフォンじゃあないだろうか。
そんな感じに時間を知るために携帯電話を取り出すことが無性に格好悪いとある日突然、感じてしまった(当社比)

半世紀前までならハイテクの極みであった機械式時計。
しかし、今日び誰でもポケットに携帯電話というクォーツデジタル時計を持っているし、時刻を刻む時計本来の機能では、すでに究極、電波時計にかなわない。なんせ「狂わない」「壊れない」「止まらない」行き着くところに到達してしまっている。
なのにどうして時計の世界では「狂う」「壊れる」「止まる」機械式時計がもてはやされるのであろう?
しかも、モノによっては数百倍の値段まで出して。

たとえばロレックス。
機械式時計の世界では、マニアに言わせれば決して高級時計ではなく実用時計。それでも世界中に認められている。車にたとえるのならベンツみたいなもんか。イタリアなんか車の窓から手を出しるうちに時計が盗まれるし、中国の山奥にロレックスなんてしていくと腕ごと切り落とされるらしい。

ブランド品として、所有欲を満たすためだけのものならそれでもいい。ただしタイラー・ダーデンには、ぼこぼこに殴られるだろう。加えて、あいにく世の中には身につけているもので人を見るという下品な風潮がある。
若いうちは「彼氏、車、何乗ってるの?」とか、身近に居た元銀座の女は客を「時計」「靴」「ネクタイ」で値踏みしたという(一点だけなら無理してるかも知れないから)

持ってるもので人間を評価されちゃあ適わんが、身につけるものはある程度の自分なりのこだわりが必要だ。高価である必要はない。自分で納得いくもの、自分で許せるもの、自分なりのこだわり、それがスタイル。そんなものはどうでもいいと思ってる人ほど、どうでもいいパートナーを選んで、どうでもいい仕事して、どうでもいい死にかたをする。墓碑になんて書いておくかと訪ねれば「どうでもいい」と答えるだろう(いやに突っかかるけど、機嫌が悪いだけだ、すまん)
よくはき違える人がいるがスタイルとプライドは似ているようで違う。生きていく上で一番大切なのはスタイルだ。どんなに苦しいときでもスタイルさえ守れれば耐えきれる。

話が逸れたが、ブランド品としてでの価値でなく、アンティークの類は理解に困難を要する。

たとえばビンテージギターとかなら、現代では自然保護のため伐採が禁止されたハカランダ材を使ったギターを求めたり、何年も時間を掛けてゆっくり乾いてきたビンテージアコースティックギターというのは他には真似のできない独特の響きがある。もちろん希少価値もあるが、ギターは美術品じゃあない。道具だ。

一方、腕時計の世界はどうだ?
骨董品とか美術品レベルならまだしもほんの20〜30年くらいの時計が凄まじい値段をつけてる事実

ポールニューマンとかなら200〜300万?
知らない人なら二桁間違ってるんじゃないかと。
別に金時計とか宝石が入ってるわけでなく、ステンレスだぞ?
台所だ。

前述のリンク、中野にあるジャックロードが日本最大級のアンティークウォッチ店。
初めて行ったら驚くだろうな、怪しくて。なんせ、この店が入っている中野ブロードウェイというショッピングモール、雰囲気は伝えづらいが、例えば4プラ自由市場。あんなところで何百万も払うのはおっかない。パチじゃあないだろうかと怪しむ人が居ても仕方ない。
怪しさを一層醸し出すのは同じフロアにある「まんだらけ」本店だろう。流出情報によるともうすぐ札幌にも進出してくるらしい。別にアニヲタとか同人誌ファンを悪く言うわけではないから気にするな。ただ、そういう店を見かけると無性に入り口をコンクリートで固めたくなるだけだ。

ここまでまるでアンティーク機械式時計を貶しているようだが、まんだらけへの敵意のおかげで俺がジャックロードへ足繁く通っている事実が露呈してしまった。ええ、欲しいですよ、手巻きデイトナとかRef1016とかさ。日本人特有の歴史やバックボーンを背負ったものに弱さもあって、ギターもそうだけど、どうもピカピカの時計は苦手だ。ヴァージンが苦手なのとは関係ないが、無責任に扱えないもんな。

とりあえず、今、使ってるのは、Ref5500というボーイズサイズのもの。
英国使用のレアなエクスプローラーとプレ値をつける悪質なショップもあるくらいだ。

↑絶対嘘。オリジナルはリベットブレスのはずだし、こんなもん(含む俺)日ロレでオーバーホールしたエアキングに文字盤リダンしただけ。つまり一番安いロレックス。ギターにたとえるとムスタングとかレスポールJr。かっこいいじゃねーか。しかも35年前の中古品。「道具」レベルでいうとゴミ。時間を知るためなら数千円で買えるパチロレのほうがよっぽどマシだろうけど、訳あってしばらくこの時計をしてる。

しかも年末の大掃除に落として風防にヒビあり。

機械式時計の意味あいも変わってきた。
半世紀前まではマニファクチュールとかハイテクの極みを競うものだったが、ほとんどの人はそんな事、気にしてない。今の世の中、そこら中で時間を知ることができるわけだし不便はないはず。だからもはや腕時計などアクセサリーの一種でしかないのだろう。相応でない値段である事は解ったうえで、特別な時に特別な記念碑としての時計。

今時は結納返しにとかも多いらしいし、結婚10年目の記念に長く使える時計をプレゼントしあった仮面夫婦もいる。大きな仕事が上手くいったときの記念に自分にプレゼントした人もいる。
高価である必要もなく、父親の形見だと古い時計を直しながら使っている人もいる。いいね、俺も子供たちに残してあげたいけど、あと2個買わなくちゃな。
やましい事をする前には必ず腕時計を外す娘が居た。それだけは彼女のルールだった。
卒業記念に母親から買ってもらったものだから、と彼女は告げた。おかあさん、ごめんなさい。
とある女性は長年の恋愛が終わった時、一生使える時計を思い切って買った。気持ちはわかるよ、よくがんばったね。できればアクセサリーの類は男性からもらいたいもんだが。

もはや時計は道具としてでなくメタファーだ。
ある人にとっては「祝福」を。またある人にとっては「成功」を「誓い」をそして「永遠」を。

できればそういう時計に出会いたい。


おかあさん、ごめんなさい。

Posted by enokizu at 2005.2.17 | トラックバック
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