札幌市某映像専門学校入学案内に際しての取材
聞き手 :佐々木葉子(オブジェフティフ )
於:1999.6.1
その1、プロフィールについて
ニューエッジ・遠藤英一郎1962.4.4生
名刺肩書きは「Visual Play」(映像遊び人ですな)にしています。職種は古い言い方をすれば「映像編集、エディター」(オペレーターなんて言葉は今世紀中に間違いなく無くなってしまうでしょう)
主な仕事の対象はコマーシャル(稼ぎ的にはウェイト大)、番組の編集はもちろん、特殊効果部分の素材加工、イベント、展示映像、ミュージッククリップ、ゲーム用映像、CGパッケージ等、「そこに時間軸が存在する画」すべて。
最近の仕事?
デジタルツーカー、NTT、石屋製菓、AC広告機構、等TV-CMやコンサドーレ札幌、長野パラリンピック、SONY NABショー用などのイベント用映像(これらはちょっと昔だけど)旅立ちの唄/宮沢和史(THE BOOM)MTV、椎名へきるコンサート用映像素材、今は亡きセガサターン、ゲーム用映像効果、など。
こんなに成金のように並べる必要なありません、仕事の内容のニュアンスがわかって欲しくて明記しただけです。
仕事についての動機、経緯については以降の設問と重複するために割愛。
設問1)現在の仕事を選んだ「動機」
映像(特にビデオやCGに関しては)の仕事、という物自体の歴史は浅く商売として確立したのはたかだか20年くらいでしょう
直接のきっかけは、自分で趣味で作ったビデオが、当時(1984くらいか?)第一回ビジュアルサウンドコンテスト(第二回目があったのかは不明)でグランプリを受賞した事。もうワンステップ上の作品を作るために、一部の限られたプロしか使えない高価な機材を使いたくて、プロの道を進んだ、というのが今から考えれば、最も他人に解りやすいきっかけになります。(セックスピストルズ以降のパンクムーブメントの話をしてもしようがないので)
設問2)現在の仕事に就くまでの経緯
残念ながら僕は専門学校出身の先輩に該当しません。
まだ、その当時はそういった学校や環境が整っていなかったからです。(整っていたのなら入学していたかは別)
そういう訳で正しい情報もなく、求人雑誌に募集広告を出していた札幌の小さなビデオプロダクションにて3年間バイト。札幌の映像業界の仕組みが解ってくると、その当時(残念ながら「その当時」である)、東京以北で最高のレベルであった「アドビデオ北海道」に入社。その当時はかなり専門的な映像の知識についての入社試験がありました。
7年間、そこで学び。1996年、映像制作集団「ニューエッジ」を首謀。現在、宮の森スタジオに常駐して、映像制作を続け、現在に至る。
設問3)CMにおける映像の役割とは?
話の流れとしては唐突ですが、「CM」というものは僕の職域の中で特別なものです。負の方向から述べれば、そこで発揮されるのはアーティスティックなパフォーマンスで在ってはいけません。CMでクリエイティブな欲求を自己満足で浄化しようとするクリエーターは愚かです。(実際にそんな輩が多いのだが)
CMは、まず「広告」なのです。
この辺の話は、語り出すと長くなるので割愛。
設問4)映像を制作する上で心がけていること?
これは、一人でやっている(要するにアマチュア)ときには解らなかったのですが、趣味でやらない(誰かにそれをみて欲しいのならば、の意味)限り、映像(でも音楽でも絵や詩でも)制作の目的は「相手に何か(メッセージ)を伝えること」です。
必ず、そこに相手があります。また何人かの意志の疎通を必要とした共同作業になる事がしばしばです。人と人の間にはルールが必要です。そのセオリーを守って仕事をすることが、仲間や相手に対するモノづくりの最低限のマナーなのです。(もし仮に君が一人で山に入って壷でも焼きたいというなら話は別)
設問5)現在の仕事の「大変なところ」と「だから、辞められないところ」
上の話の続きです。僕たちはセオリーに従って物を作ります。しかし「他とは違うなにか」や「自分らしさ」を表現するためにアン・セオリーを要求されます。
表現にとっての「クリエイティブ」というのは、この「アン・セオリー」の量(物量ね)や質(クォリティ)というより、「セオリー」の中の「アン・セオリー」の折り込み方(センスですな)、だと僕は思っています。
設問6)仕事面で「最近挑戦していること」「考え方が変わってきたこと」など近況を
僕の最初の仕事は「編集オペレーター、あるいはエンジニア」と呼ばれていました。(いまでもそう呼ぶ人は居ますが、そういう人はおそらくみんな淘汰されて死ぬでしょう、のたれ死にです)それは、特別な機械を操作することができる技術職だったからです。
現在、性能はもちろんコストも含め、ハードウェア、ソフトウェアは凄いスピード(自論だと18ヶ月で倍)で進化しています。映像、音楽、CGを制作する役割の垣根も段々曖昧になってきています(それ-垣根-を必死で守ろうとするオールドタイプの人たちもいますけど)
要するに、特別な機械やソフトウェアを駆使する技術職である時代は終わった(あるいは終わるべき)のです。
機械やソフトウェアが幼稚な時代は、ユーザーの歩み寄りが必要だったのですが、成熟につれて自立が必要です。もう測定器を監視しながら、機械の能力にあわせた表現やソフトウェアのTipsを集めることは、もはや意味のないことです。
ワープロで文章を書き上げる人を技術職とは言いません。映像を製作する際に使える素材テイクを選ぶように、僕は様々な言葉(もうすでに手垢の付いたものばかりのことが多いのだが)を選び、フィルムの駒さながらに並べます。前後の時間軸を気にしながら文節や文脈を積み上げていき、流れができたところで再生して詩人さながらに、。(点、丸)を整理します。映像、音楽、CG、も古典的表現である文章書きも思考の基本としては何も変わりません。
表現は質を問われる時代です。
設問7)CM業界?をめざす後輩に向けてのメッセージ
過去、テレビジョンはメディアや広告表現においての王様でした。今日、モニターの中に映しだされるものはビデオ、ゲーム、インターネットWEBを始め多岐にわたります。メディアの体系は進化し続けるでしょう。しかし映像表現の可能性はこれからも無限大に広がっていきます。
上記(6)で述べたこと)の文章に限って言えば、専門的な知識はさほど重要ではないようにきこえますが、あくまでもそれは自己表現の「アン・セオリー」の話。あくまでも「セオリー」(基本)が無ければ「アン・セオリー」も存在しません。
「セオリー」(基本)は、通過点に過ぎないのかもしれません。しかし通過点であるからこそ避けては通れないのです。
僕を驚かせてください。
1999.6.1 抜粋部分が2000年用入学案内パンフレットに偉そうに掲載。