逆噴射家族の幸福論、映画「アメリカン・ビューティー」
おそらくご両親も健在で、ここに登場する大人たちとはほど遠く、配偶者や子供を持たない人たちはブラックなコミック映画として楽しめるのかもしれない。ある意味、羨ましいぞ。
物語は主人公レスターの回想によってはじまる。この時点でもう、この映画が二重構造か二面性を含んだ映画であるという事が解ってしまう。だって、このレスターって、カイザー・ソゼじゃあないか。こいつが出てくる映画はいつだってそうだ。なんて独白が上手い奴なんだ。
英国産の薔薇に対してアメリカ産の薔薇をアメリカン・ビューティーという。いまどきまともな男ならそんな花を贈ったりしないが、メタファー(暗喩)としてシーンの至る所に薔薇(というか赤、ファイアーバード、家のドア)が鏤められている。このメタファーと対局をなす、もうひとつのビューティが宙に舞う白いゴミ袋だろう。
相対的価値観としての幸福論は誰もが持っているし、物質的現代的幸福論はファイトクラブでも否定されていたテーマだが、自分の中にも在ることを否定できない人は大勢居るはずだ。
だから誰かに、アメリカン・ビューティーって、おもしろい?と訊かれても少し困って、物知り顔なふりをして「まあ、よくできてるよ」みたいな返事しかできないかもしれない。そういう層を狙っての確信犯、やっぱりそういう意味では、マーケティングばんざいの、踏み絵のような映画だ。やれやれ。
まろりんちゃんの疑問の豊胸手術の件については、特に引っかからなかった。たまたま娘ジェーンが巨乳だったから脚本上そうなっただけでないだろうか。つまり貧乳では成立しない。もしジェーンが貧乳でやせっぽちな娘だったら、ダイエットの薬を買うとかいう脚本になるのでは?と素直に受け止めたものだが?
英国の演出家サム・メンデスの映画初監督作品だが、アメリカ生まれのアメリカ育ちという事なので、純然たるアメリカ映画だろう。つい、これがフランス映画だったらどうなるのだろうかと頼まれてもいないことをつい心配してしまう。やはり隣家の大佐を救ってやって欲しいよなあ。
ラストの回想シーンで再び現れるファイアーバードはもう赤くない。そして最後の一言は重みがある。
流石、カイザー・ソゼ、また逢おう。