あるいはすっかり忘れているだけなのかも知れないが、バレンタインに関して言えば、飴色の光に照らされる観覧車のゴンドラのように、繰り返し反芻しては記憶の甘い襞に浸れるほどのとりたてた遍歴はない。(日本語迷走中)
要するに、その時のガールフレンドからのお約束モノはまだしも、一山幾ら(みなさんでどうぞ〜がこの類)の義理モノ、あるいはたまたま行き場を亡くした予備弾にあたったモノ、あるいは牽制球。つまり、バレンタインの告白によって享受した崇高で甘美な愛の遍歴はない。
まあ、そんなものが実際に存在するのかも疑問だし、例えば思いも寄らぬ人から、意を決したように突きつけられたら思わずひいてしまうかも知れないけど。
特に手作りだったりするのも身構えてしまうが、それがGODIVAのチョコを贈るような女性だったら気をつけたまえ。経験則だ。
肝心なのは何を贈るかよりもどんなふうに贈るかだ。
なるべくさりげなく、例えば別れ際にそっと気づかないように置いていかれたりした日には、西洋乞食のこんな僕でも流石にじ〜んときたもんだ。ありがとうね。
12/22の憂鬱のように女の娘にとってアニバーサーリーは重要だ。バレンタインデーも例外ではない。
だから、あちらを立てればこちらが立たず、みたいに、別に(その娘にとっては)どーでもいい男にまで「何もあげないわけにはいかないのではないか?」という強迫観念まで生まれたりしているようだ。
何も気を使う必要はありません。男性にとってはおそらくバレンタインデーなんてそれほどのものでもない。もちろん数じゃないし、一番淋しいのは、一山幾らの義理ちょこ一個だけみたいな結果だろう。
いえいえ、僕はといえば、帰って、妻と娘から小さな愛情をいただければそれで充分なんですよ。
2001/10/19追記:この後、身近な女性から「なんで GODIVAのチョコがいけないのさ?」と文句を言われた。きっとGODIVAのチョコを買ったんだろう。
引くぞ、きっと、男が。