
なんとあか抜けないデザイン。色遣いやフォントの選び方も日本人離れ。印刷もカラーコピーみたいで、なんかバチもんみたい。
しかし、これが正真正銘、2002FIFAワールドカップのチケットだ。
62億9650万人以外の世界中の幸運な人たちにだけ、届けられる。
単純に試合を観るだけならTV中継で観た方がいいのかもしれない。解説やアップの映像、リプレイも堪能できる。
でもね。この試合なんて札幌ドームの客席半分は間違いなく外人だぜ、こんな体験、今後札幌ドームでできる筈がない。もちろんサッカーの試合なら、何回も観に行ったことはあっても、実際に生のオーケストラをコンサートホールで体験した人だけが初めて空気が震える音を体験できるように、正真正銘のワールドカップを体験できるパスなのだ。
このワールドカップ、日本で開催されるから浮き足立っているわけではない。
たとえ札幌ドームでやらなくても日本でやらなくても、ワールドカップの興奮と感動がスケールダウンすることはあり得ない。
ただし、日本代表が出場できないとなると若干ヒートダウンすることは否めないのだが。
それはワールドカップが平和ボケした世界中多くの人々に残された、数少ないナショナリズムに成り立っているからだろう。今や、ナショナルチームよりクラブチームの方がよっぽど洗練した試合や戦術をこなしていることを、もはや特別なフットボールフリークでなくても知っている。それでもプチ右翼思想の僕としては、国を背負った代表チーム同士の戦いには感慨深いものがあるのだ。
ところで、来るワールドカップの日本戦と決勝戦の時間帯は、民放ラジオのAM、FM、短波放送も、同じ放送(もちろん試合中継ね、念のため)を流すことになったそうだ。解説もCMも全く同じ。音声は、FIFA公認のホスト・ブロードキャスト・サービス社が制作。そこに在京キー局(TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送・TOKYOFMの4局共同制作)が日本語中継や解説を入れた番組にするらしい。
どうしてこんな凄い事が実現したかというと、広告会社、世界の電通が、全国101局の放送枠を一括で買い切ったからだ。
これだけの局が同時に同一の番組を流すのは初めてだ。オリンピックはもちろん、昭和天皇死去の時でもなかったほどの事態。
さて、今日の憂鬱は、こういったムーブメントを少しでも貧困な成績にあえいでいるわがホームチーム、コンサドーレ札幌にも反映させてあげられないだろうかという事だ。
もし、コンサドーレ札幌のホームゲームの日だけは、札幌中のローカル番組が中継し、祝日に掲げる日の丸のように街中にコンサドーレのフラッグが翻る風景が実現したらなんて素晴らしいのだろうか。
まあ、僕も素人じゃないんで地方局の限られた年間ローカル枠や放送に伴うJリーグの契約の厳しさはよく知っている。しかし、それに近い雰囲気が札幌よりもっと小さな街、浦和や鹿島や磐田にあるのではないだろうか。
貧困な成績にあえいでいる今でこそ、街ぐるみの一層の支援が必要だろう。
そして、明言しておくが、僕はもう、柱谷監督の排除論は唱えない事にした。
考えてもみたまえ、今、たとえトルシエ監督が率いても現在の戦力では心許ないの周知の事実。
初期段階でのシステムの変更、無謀な戦術を悪く言う人もいるだろうが、だからといって10人で守り、引き分けの勝ち点1を積み上げていくような戦い方で満足できただろうか?もちろん、悪いときは監督を代えたり何か手を打たなくてはならないのは当然なのだが、今、柱谷監督を悪く言う殆どの人は排除論だけ唱えて具体的なその先がない。不平不満だけを唱えるのは若者かパンクロッカーの特権だ。
誰が言うまでもなく、現在のコンサドーレに一番、憤りを感じているのは当の本人、柱谷監督の筈だ。彼の性格を察すれば、このまま辞められるはずがないだろう。
何故、そんな風に思ったかというと、最近のワールドカップブームのおかげで過去の日本代表の歴史などの映像がよくテレビで流れている。そんな中、繰り返し流されるあのドーハの悲劇。悲願のワールドカップ初出場を逃した、あのロスタイムの悲劇。
人前も憚らずピッチで号泣する当時のキャプテン柱谷の映像を観るたび、今の僕たちの憤りややるせなさなんて、この時の彼の思いを越えることは、決してあり得ないだろうと痛感する。
僕は決めた。もう、totoも負けは買わない。コンサの負けで喜んで、小銭儲けて何になるのだ。
パッシブでいく。
決して、柱谷監督が家の近所に住んでいるという事を知ってしまったからではない。
Posted by enokizu at 2002.5.11 | トラックバック