これまでの日本代表のベストゲームはなんだろうか?
今でも、数々のドラマがあったフランスワールドカップアジア最終予選、ジョホールバルでのイラン戦を上げる人が多いかも知れない。最近の試合なら2001年コンフェデ杯のカメルーン戦か。
僕にとって忘れられない試合は、1996年、博多の森で行われたキリンカップ、対メキシコ戦。開始直後にメキシコに2点を先制されながらも、3-2で逆転勝利した試合である。
この試合で初めて日本A代表デビューしたのが、名波 浩だった。
その後、日本代表メンバーに中田英寿が加わり、名波はポジションをボランチへと下げたが、98年フランスワールドカップが終わり、カズ、井原と世代交代していく中で、名波は2002年へ向けた日本代表の先頭に立っていた。
類い希な左足の技術と変幻自在の柔らかいパス。
悪いピッチコンデション-転がして駄目なら浮き球を、とか、引いてガチガチに守られているときにはロングシュート、とか、守っていても横パスが絶対駄目な危険な時間帯も知っていたし、全体が悪いときでも、その中で冷静に状況を判断できる選手だった。
ディフェンシブハーフとして、一瞬の判断力の速さと、正確なロングパスを出す能力も現代表の豚を大きく上回っている。
しかし、強烈なリーダーシップもなければ、派手なゴールを演出するような選手でもない。
むしろ、表舞台に立とうとしない、クールなアウトローを目指した。
背番号10をはにかみ、できればジュビロでつけてる7とか14(B代表デビューの番号)とかの方がいい、と公言し続けてた。
代表合宿では影のリーダーとして慕わられ、毎夜、若手の選手が名波の部屋に集まったらしい。モリシをパシリとかに使ってかも知れない。年下なのに。
TV番組に出演して「好きなタレントは?」と訊かれれば、司会が明石家さんまなら大竹しのぶ、木梨憲武なら安田成美と答えるウィットも持ち合わせていた。人間的にも頭のいい選手である。
もちろん順風ばかりでもない。
セリエAで成功した中田英寿ばかりがもてはやされる中、トルシエ監督は、南米選手権の敗退で激しく名波を罵倒した。それでも黙って、自らベネチアへ行き、鍛えあげ、その後も磐田を牽引するプレーそのもので答えた。自分の姿で若手を牽引しようとしたのだろう。口に出してそういう事が言える選手ではない。
ただし、熱さを表に出せない分、内に秘めたプライドの高さは相当なものだったに違いない。
2000年アジアカップではキャプテンとして唯一、フル出場。文字通り頂点を極めた。
このアジアカップの日本代表は、古くから日本代表を応援してきたファンにとっては驚異だった。
本当に日本はアジアレベルではぶっちぎりに強くなったのだなと、ただ関心するしかなかった。
かつてアトランタ五輪を掛けて戦ったあの前園が最も輝いたサウジアラビア戦の手に汗握る攻防はいったい何だったんだろうか?
優勝の立役者、名波は、トルシエ監督だけでなく、アジア各国に絶賛され、大会MVPを与えられた。
それでも決して、名波は奢らず
「次は、きっと、伸二(小野)の世代のチームになるだろうね。上手いよ、彼らは。まあ、彼らが好きなサッカーをできるような、そんな土台を作っていければと思う」
と、はにかみながら答えていた。
2001年、名波は傷めていた右膝の手術に踏み切った。
2002年ワールドカップに間に合うのか、相当な覚悟だったに違いない。天命を賭けてみたのだ。
不幸にも回復は予定よりも遅れ、コンディションが戻らない焦り、時間だけが過ぎていく苛立ちの中、トルシエ監督はプロフェッショナルな決断を下した。
運命の2002年5月17日、発表されたワールドカップ日本代表最終メンバーに名波の名前は無かった。
世の中のほとんどの人は、名波よりも中村俊輔の落選に湧いていた。
その頃、記者会見席でもなく、ワイドショーばりに駐車場で報道陣に囲まれた名波は、マスコミの殺到ぶりに少し驚きながらも
「一言?怪我が理由じゃなくて力が無くて外れたってことだね。おつかれ」
と軽く答えて車に乗り込んだ。言葉面だけ見るとキレた返答のようだが、その時、名波は確かに笑っていた。それはとても消えそうな力のない笑いだったが。
名波にあって中田に無いもの、それは切なさ。
ただしそれは、サッカーには必要はない。
ワールドカップがまた始まる。
TVの特集番組が、前大会の映像を繰り返し流す。
第三戦、日本-ジャマイカ戦で後半終了間際に交代出場する小野伸二選手の映像。
その時、交代でピッチを出ていく姿が、名波。
交代する瞬間、名波は小野の肩を軽く叩いた。小野は振り返らずピッチへ走った。
この時からすでに、大きな交代が始まっていたのかも知れない。
2002年6月4日、新しい日本代表が、新しいワールドカップのピッチに立つ。
98年フランスワールドカップでは初出場、初得点と記録は残ったが、アメリカ大会でのスイスがどんなチームだったか思い出せないように、日本代表も世界から観れば、また記憶に残らないチームだった。
記録に届かなくても記憶に残るプレイを切に願う。
そして、その時、僕はかつて「代表の魂はピッチに置いてきた」と直前で涙を飲んだカズや、ストイックにこの4年間、この代表を橋渡ししてくれた名波たちの誇りとプライドを、もう一度その姿に重ね合わせずにはいられないだろう。
日本代表のベストゲームは、これから始まる。
Posted by enokizu at 2002.5.29 | トラックバック