1999.7.24(028)号
希望を抱き、恐怖に震え、畏怖にうたれる。究極の歓喜があり、耐えがたい絶望がある。サッカーという冒険には、人間のあらゆる感情が凝縮され、すべての営みが投影される。だから、刻まれた記憶は決して色褪せない。

京極道のtext by - m0r11(オブラ人)

 先だってのゲームについてのもやもやを胸に、私は京極道の部屋を訪れた。
京極道はまるでコピーし終えたテープに傷が入っていたのを見つけた時のような仏頂面で、和綴の本を呼んでいた。
「君はいつもそうだな。挨拶をするならする、座るなら座ればよい。気が散るじゃないか。」
京極道は読んでいる本から目を離さずにそう云った。京極道の座敷には先に来ていた榎木津が寝ころんでいた。顔も上げずに榎木津は云った。
「久しぶりだねセルジオ関君。」

 京極道の手元の本の名前は『画図百鬼夜行』。石燕(せきえん)描くところの江戸時代の娯楽本だ。全部で十二冊も出版されているそうだから、結構人気があっのだろう。京極堂が睨んでいる頁には、背中に赤子のようなものを背負った男の絵が描かれている。絵には「あしおも」と題がふってあった。床の本の山をよけながら、私は京極道の向いに座りながら云った。

「不思議でならないのだ。最近勝てるはずの試合に勝てない。人数も増えているし、出席率も高いから、常に相手のチームよりもはるかに多い人数で交代で出ているから、こちらが有利なはずなのだ。前回2-0で勝った相手に7-1で負けるなど、考えられない事だろう。」

 

「世の中に不思議なことなど何もないのだよ。」

この言葉は京極道の口癖である。いや、座右の銘と言っても良い。
「サッカーというものを理解している者はそこの榎木津くらいなものだからな。例えばこの間の試合の日、君たちは雨が降らなくて良かった、芝のコートがとれて良かった、絶好のサッカー日和で良かったと思っているだろう?」

「当たり前じゃないか。サッカーは健全なスポーツだからな。」

「それが間違っているのだ。皆サッカーをそういうものだと思い込んでいる。だが、考えても見たまえ、日本にサッカーという文化が根付きはじめたのはつい最近の事なのだよ。
 サッカーというのはスポーツでありながらスポーツでない。むしろ自然発生的に生まれたもので、人類という種の宿命とも言うべき行為なのだ。現代でもサッカーというスポーツは特別なスポーツだ。人種・国・性別・貧富の差など、あらゆる垣根を超えて行われているただ一つのゲームなのだ。そもそものルーツというのが、中国にあるだの、イギリスにあるだの様々言われているのだが、古代の文化には全てサッカーのルーツと呼べるものがあったのだ。アンデスの失われた文明の中にもサッカーと良く似たゲームがあったという記録もあるし、本邦にだって蹴鞠という高貴なゲームがあったではないか。逆に野球もマラソンも本来我が国にはなかったものだし、世界中のどこにでもあったというものではない。どこの世界にその勝敗がもとで戦争が起きたり、代表選手の家が燃やされるスポーツがあるのだ?
サッカーはスポーツであってスポーツでないのだ。
それをふつうのスポーツと同じに考えるからおかしなことになるのだ。」

 京極道は時として煽動者となる。サッカーは明らかに最もスポーツらしいスポーツだし、サッカーファンも、ジョッピンカルのメンバーには多いのだ。それを、いまさらサッカーの歴史から説明されて、多少サッカーに対する理解が深まったにしても、、チームとしての動きにどれほどの変化が期待できるだろう?
 しかし、一般的な精神論の話をこの男がするとも思えぬ。この男のやり方はいつもそうなのだ。彼に意見を求める者は、あまねく思いもよらぬ回り道を引っ張りまわされたあげく、なぜか出発点に立ち戻っている自分に気付く。しかし、思考の選択肢は、彼の意図する結論しか残されていないのだ。京極道の弁説は続く。

「そもそも君たちが、いつもいる場所を考えてみたまえ。陽の光も届かぬ、その日の天気も分からぬ場所、それも普通の部屋よりも薄暗くした編集室やスタジオにいるのだ。榎木津の部屋も、辛うじて外は見えるものの、窓ははめ殺しだ。
逆にオリックスのイチローは、スポーツは日の光の下で、土や芝の上でやるものだと言っている。
 普段日の光を避けるように生きている、ろくに運動らしい運動もしない者達が、健全なふりをして飛んだり跳ねたりしようとするのがそもそも間違いなのだ。」

「しかし、メンバーの中にはカメラクルーをはじめ、現場、現場の連続で、一度も海水浴に行かないのにそこいら辺のサーファー顔負けに日焼けしている者もいるじゃないか?」

「君は一つ大事なことを見のがしている。彼等は現場の後はどうする?必ず打ち上げをするじゃないか。そう。彼等の平均すすきの指数は、普通のサラリーマンの数倍になると言われている。どうだ? 納得がいったようだね。彼等の心はすっかり闇に取り込まれてしまっているのさ。ただし、サッカーはそれではダメなのかというと、そうでもない。」

陽の光り・・・そうか。
関口は先だっての試合を回想していた。

 

 その日は7月20日。「海の日」と呼ぶのにふさわしい、これ以上はないという絵に描いたように晴れわたった暑い夏の日だった。ジョッピンカルのメンバー達の出足もいつになく良かった。なにせ集合時間にはイレブンが十分に揃うという集まりの良さだったのだ。

 実はこの数日前に、炎の男ドゥンガが目を負傷して、試合に出られなくなってしまった。これはジョッピンカルにとっては非常に痛い。一人欠けただけで飛車ばかりか、角まで落としたのと同じハンデを背負うこととなる。それほどこの男の存在価値は大きいのだ。試合には出られないものの、自ら主審をかって出たこのベテランの審判服の胸に、惨然と輝くJFA公式審判員ワッペンがあったのは言うまでもない。彼のジャッジはいつも公平かつ厳しい。

 手掛けているやっかいな事件のため、来られないと思われていた榎木津も皆が揃った頃に登場した。彼が現れる時は、いつも周囲の者をあっと驚かせるのだが、今回も例にもれることなく、一同をあぜんとさせた。すなわち、彼は片手にギターを持ち、ベンチにどっかりと腰をおろしたかと思うと、ベンチの一番目立つあたりにギタースタンドを置いてそのギターを立て掛けてしまったのである。私も、緑のフィールドに置いてあるギターなぞ、どの楽器屋のCMでも見たことがない。MVPプレーヤーに贈呈するためだったのか、勝利の歌を披露するためだったのか、残念な結果となってしまった今では分からずじまいだ。あまりにあっけにとられた記録班のアヤベルトは、写真を撮るのを忘れてしまっていたほどだ。
 兎も角、榎木津の出現で、イレブンの中にぴいんと緊張の糸が走る。
早速榎木津が、全員を集めて作戦会議に移った。

 

 1980年代のフランスとブラジルは共通の問題に頭を痛めていた。即ちすばらしいMF陣を揃えながら、決定力のあるFWが不在していた。そのため、仕方なく中盤を4人にするという苦肉の策に出た。「4-3-3」が主流だったこの時代、「4-4-2」は守備的なシステムと見られていたが、結果的にこの奇策は世界の常識を覆すことなった。 ブラジルのジーコ、ソクラテス、ファルカン、セレーゾ。フランスのプラティニ、ジレス、ティガナ、ジャンギニ。両チームの4人の中盤が奏でるパスワークは華麗で、各国の急所を確実に突いた。両国ともW杯優勝こそ逃したものの、中盤にクリエイティブな4人を配するというフランスとブラジルの「4-4-2」システムは、中盤を重視するサッカーに次のような回答を出した。「4-4-2は決して守備的ではない」。
 その後、多くのチームがこのシステムに移行した。最近までのジョッピンカルは、このシフトをひく事が多かった。ゲームメーカーを中心に配置し、ゲームを組み立てるには最も適したフォーメーションだったからだ。

 ただ、ここ数試合は、我がジョッピンカルは現在の日本代表も採用している「3-5-2」のシステムで戦っていた。なぜなら1982年以降、「4-4-2」システムはすっかり世界に定着したが、弱点がないわけでもなかった。2人のFWに対して4人のDFで守るため、常に数的優位は保てるものの、反面、はっきりとしたマークを付けないことから、DFの“門”(隙間)を突かれることが多いのだ。 ジョッピンをからなければならないチームが門を開けていたのではお話にならない。
 その短所を補うために編み出されたのが、DFを3人にした「3-5-2」システムである。相手の2トップに2人がマンツーマンで付き、一人をリベロとして余らせる。中盤は5人のうち2人を外に出し、サイドバック兼ウイングという役割を担わせる。長い距離を走るため、このポジションには脚力と体力に優れた選手が使われた。
既に1980年代中盤から欧州のチームの間で取り入れられており、西ドイツ代表はこのシステムで幾多のタイトルを獲得した。

 しかし、である。どうしても攻撃の方が面白いのがサッカーである。ゴールの魅力よりも、中盤のパス回しや渋い守りの方が良いなどという輩は、かなりのサッカーおたくと呼ばれても仕方ないだろう。ウイングは、攻めっぱなしで戻ってこない。結果として、非常に近代的な作戦をとっていたはずのジョッピンカルは、1963年頃すなわち近代サッカー黎明期の「3-2-5」あるいは「2-3-5」というシステムで戦っていたのである。21世紀まであと数百日となった現在、19世紀の戦い方で試合をしていたと言うわけである。

 此の事を榎木津はひとことふたことでウイングの二人に説明してしまった。これで、ジョッピンカルの戦い方は大きく変貌したのである。

 白旗山の芝生にホイッスルがこだました。すぐに変化は現れた。モーニング御用達のタレント大泉洋と同じく「5分以上喋るのをやめると死ぬ」という、特異体質に悩むウイングバックの光成が、黙々とプレーを続けている姿がそこにあった。
 そもそも、負けている試合の後は、小一時間経たないと帰り支度もままならない-それほど消耗が激しいのがサッカーだ。お腹が出た野球選手はいても、お腹の出たサッカー選手は元ガンバの磯貝を除いて殆どいないのも、そのためである。燃え尽きるまで走った光成。第ニ試合、彼の姿はピッチになかった。

「この動きができたのなら、前回の試合は負けなかったのに・・・」
ハーフタイムに思わずドゥンガがもらした言葉だ。

 しかし、新規加入の森井1号が、思いのほか足が遅いのが誤算で2-0で前半を折り返す。さっそく彼はベンチに引っ込められた。それにしても、彼の消耗は尋常ではなかった。ハーフタイムの数分間、彼は本当に熟睡していたのである。前日午前3時までGINZOやおしのらとチャットをやっていて、朝7:30起床でもう一つのチームGOISの試合に行っていたとはいえ、これは異常な事だ。彼は後半は自ら線審を買ってでたが、それは「向こう側は木陰があるから。早く日の光りから逃れたかったからだ」と後に語っていた。

 

 事態を見かねた榎木津は後半は自らピッチに立つ事となった。しかし、ここで誤算がひとつあった。今日は彼の家族が見守っているのだ。彼のプレーで特筆すべきはマリーシャの巧みさであろう。強いインステップキックで蹴ると思わせておいて、トウキックで素早くさばいたりするのは勿論のこと、長身を生かしたポストプレーと見せかけてGINZOへスルーしてみたりと、まるでマリーシャの固まりのようなプレーが榎木津の持ち味なのだ。彼の言葉にこう言うのがある。

「来ると思ったところに来ないのが闘いの基本じゃないか。来ると思ったところに来るのはお笑いの基本だ。喧嘩は卑怯な方が勝つのだ。成文化した卑怯こそ武道だ。」

「勿論石橋を叩いて落ちる関や、石橋を叩き壊す馬鹿修とも違うぞ。石橋なんてたたきもしないで飛び越える」(塗仏の宴より)

たまに素直なプレーをすると、逆に敵がとまどう。そんなプレーヤーが榎木津なのだ。
 いや、そもそもジョッピンカルはマリ−シャのレベルの高さがウリのチームだ。先日の試合など、サイドバックがウイングに「田井中ぁ〜」と指をさしながら大きな声で叫んで、完全にフリーのBDにパスを出した瞬間、田井中にパスが出ると確信したBDがそちらに走ってしまい、敵に球を拾われてまんまとカウンターを食らってしまう程なのだ。
敵を欺く前にまず味方を欺いてしまう程のマリーシャの高さを誇るチームなのだ。
 一方、少年サッカースクールなどでは、正直で基本に忠実なプレーを大切にするものだ。シュートの前にフェイクを入れる、いわゆる前園の様なプレーをすると怒られるのだ。打てる時は素直に枠を狙わなければならない。サッカーのプレースタイルは則ちその人の生き方なのだ。子供の純粋なまなざしの前で、いつもの様なプレーはできない。最後まで違和感を感じながらプレーした榎木津は、いつもの意外性を出せないままに終わった。彼に限って言えば、今回は試合に負けて勝負に勝ったと云えよう。

 今一番乗っている男GINZOの活躍と、デコッパチの得点で一糸報いたものの、第一試合を4-1で落としたジョッピンカルは、第ニ試合をフレッシュなメンバー中心で構成すると言う作戦がまんまとあたり、CHANの得点で1-0で折り返す。

 しかし、やはり何かの歯車が狂っていた。前半終了近くに、BDが犯した故意のハンド等はその一例であろう。後に彼は語っている。
「太陽に魅入られたのだ」と。
何故、彼があのような行為に及んだのか、誰にも説明できない。フランスのヌーベルバーグの映画の1シーンのごとき不条理さで、彼はついっとボールに手をのばしてしまったのである。サッカーはキーパー以外の者は決して手を使ってはいけないものである事は、子供でも知っている大前提である。何故彼は手を出してしまったのか?
「空が異常に青かった事だけを覚えている。それ意外は何も・・・」
BDは手で頭を抱えて首をふり、吐き出すように語った。

 そう、まるでビデオのモニタを再撮したように、ぶれた光景がそこにあった。ジョッピンカルの大砲-二木のシュートは打てども打てども枠を外し、力ずくでジーパンが運んだ球もストライカーBOYANの元に届かない。MFからのパスも果敢に裏に飛び込む植田につながるのだが、その後のパスが微妙にずれる。最年長奥田の積極的な動きも事態を打破するに至らない。最も攻撃的なはずのジーパンが、幾度も最終ラインまで下がって必死の防戦を試みるも、相手の攻撃を防ぎきる事ができない。試合の殆どの時間を相手コート側の半分で展開しているにもかかわらず、じりじりと焼け付くような太陽の下、男達は攻撃の糸口をつかめぬまま必死にボールを追った。

 

 バックの3人は、何も相談したわけではないが、やらなければならない事は分かっていた。相手フォワードのスピードは防ぐ事はできない。ならば、オフサイドトラップしかない。実は第一試合はオフサイドトラップを幾度か、かけ損ねてひやりとしたのだ。相手の攻撃力はあなどれない。こちらは体力を消耗して思うように体がついてゆかず、球に行くつもりが、すでに相手の体が入っていて、ファウルまがいの動きになってしまいながら、守っていたのだ。しかし第ニ試合に入ってからは、ようやくコンビネーションもとれるようになっていた。第一試合で得点しているジョッピンカルの壁デコッパチも、今回は最終ラインを作る事に専念していた。
 相手の9番もそれは分かっていた。互いに最終ラインを気にしながらポジショニングをしている。
 ラスト5分、運命のパスが裏に出た。サイドバックは当然のように、キックの瞬間にニ三歩歩前に出る。が、球が放物線を描き始める前にすぐに一応相手フォワードを全力で追う。しかし、ラインズマンは、センターラインの近くでプレーを見ていた。あの位置では、最終バックラインではない。斜めなのだ。ラインズマンはしかし、走り出さなかった。迷っていたのだ。サイドバックは早く旗を上げるように促した。しかし、ラインズマンは旗を上げない。しかも、今回の主審はベテランのドゥンガではないのだ。見事な50m独走の末、決勝点が入った。そして数分後ジョッピンカルの抵抗空しく青く広い空に終了のホイッスルがこだました。

 

京極道をにらみつけながら関口は絶望的に叫んだ。
「フィジカルが弱いから、暑い日の試合はダメだって言うのか? 」

確かに、何とか引き分けた前々節の試合では、スレ−ト色の空の下での戦いだった。そして同点にされたのは晴れ間がのぞいてからだ。確かにジョッピンカルは太陽に弱い!!

「だから、サッカーはそれではダメなのかというと、そうでもないのだ。サッカーはスポーツであって、スポーツでない。サッカーはあるときは戦争であり、あるときは国家であり、あるときは人生であるものなのだ。
 ジョーダンのブルズとバスケットの試合をすれば、誰でも100回やって100回負ける。これは絶対負ける。スポーツだからだ。

 だからと言って、君等が今さら朝練でもあるまい。今さらそんな事をしたって、日頃の不摂生がたたって体を壊すのがオチだろう。君等は所詮スポーツバカにはなれんのだ。
 しかし、自軍の10倍以上の兵力の軍隊と戦って勝った戦争や、戦いのプロフェッショナルの武士を、百姓を集めた軍が撃ち破ったりした歴史は枚挙にいとまがないだろう?要は君等は君等らしくあれば良いのだ。煙幕の煙りで霞んだカクテル光線の中でゴールを決めるのも一流のプレーヤーだろう?君たちは君たちらしくやればそれで良いのだ。」

 

関口と京極道のやり取りを聞いていた榎木津は考えていた。
「でも、あの男がいてくれたら違っていたかもなぁ。あいつどうしているのかなぁ・・・?」
榎木津は遠い香港の空に想いを馳せた。

 

--「妖怪あしおも」--
土蔵の奥などの日の射さぬ場所に長くいると、本人が知らぬ間にいつのまにか身体にとりつく妖怪。とりつかれた者は、次第に足取りが重く、襲ってくる疲れがやがて死をもたらす事もあるという。同様の妖怪には「こなき爺」がいる。主な違いは泣き声は出さない事と、「こなき爺」が主に夜出現し、おぶってやると次第に重くなるのに対し、「あしおも」は主に昼日中に悪さをするという珍しい妖怪である事。

 

ロイタ一発・共同通信

目次に戻る それとも に戻るか?