1999.5.30(018)号

I still haven't found what I'm looking for.

別競技場にて宿命のライバル対決「コンサドーレ札幌vs川崎フロンターレ」が行われた5月30日、もう一つのライバル対決が行われた。業界ダービー、uhb@トップクリエーションとの99年、2度目の対決である。
思い起こせば99年1月16日のこのカードで白星スタートを切ってからのジョッピンカル札幌、以来7試合勝ち知らずである。もう後がないジョッピンカルフロントは、onちゃんグッズを用意して心理的プレッシャーを与える作戦を準備するなど余念がない。
 

集合時間は午後7時、今期初のナイターである。降り続いた雨も上がり低く垂れ込んだ厚い雲が深い色に染まる頃、次々と選手は到着する。しかし彼らを迎えたのは水たまりを敷き詰めた、ぬかるんだ最悪のグラウンドコンデションであった。アウェイ巡業の興業が芸人の定めとはいえ、札幌中学校グラウンドを荒らしてしまう事はもちろん、なにより泥まみれになることを懸念したジョッピンカル監督榎木津礼二郎がトップクリエーション監督、謎の僧侶、茂富氏に「とりあえず記録のためにじゃんけんで決めましょう」と大人の相談を持ちかけているところに、その凶報は届いた。

「みなさんの熱意に負けました」と札幌中学校教頭先生の伝令は届いた「どうぞグラウンドを使ってください」と。試合は強制的に強行されることになったのだ。
 

トップクリエーションが組織的なアップを始める一方、こちらは時間通りに集まったメンバーは8人。準備運動も無しにだらだらと「わあ水たまりがはねちゃったぁ」と寄声をあげつつ幼児さながらのボール遊びを続けるジョッピン選手達、目指すサッカーの質の違いは明白だ。かたわらで携帯電話によるお友達大集合作戦を続けるジョッピンカルフロント、今日も故障中のEND@ニューエッジと香港に失踪中のNANBU@金城を欠いた飛車角落としの布陣を余儀なくされるが、それでも何とか11人を召集し7時40分キックオフにこぎ着けた。

 

何故かフィールド内に野球のマウンドがあるのはご愛敬のグラウンドコンデションは想像以上に悪く、球足は止まり、足は滑り、文字通りの泥試合の有様である。しかし、出の悪さが染みついたジョッピンカルにとって悪条件の方が分があるのだった。

全方向リベロ・キャプテン斉藤の炎の一発で前半を折り返すと、榎木津礼二郎監督はポジションに若干の修正を指示、NIKI@TVハウスをボランチに戻し、この日調子の良かった、GINZO@ニューエッジ、I@モーニングを前線に上げた。後半序盤、この日、自分のを汚したくなくて、欠席したBOYANの9番のユニフォームで出場したG-PANが、一対一の勝負から抜け出し右サイドからゴール前に低いクロス、ゴール前の混戦に半馬身リードして飛び込んだGINZOがダイレクトで合わせて追加点。その後、コーナーキックのチャンスから一試合一回のお約束G-PAN'sジャンピングボレーを狙ったが、絶好のボールを相川@モーニングがヘディングで被ってしまいチャンスを逃した。
高く舞い上がったこのボールを一瞬、フィールド内の全選手が見失ったが、次にボールを見つけた先はゴールネットの中だったのである。ここにジョッピンカル最年長ヘディングの記録が打ち立てられたのだ。
 

試合はこのまま3-0で終了。しかし決して点差と内容の差は一致しない、この日はAND@映像記録、DEKKOPACHI@映像記録、SUZU@テレビハウスの最終ラインの安定が際立った。2ストッパー&スウィーパーの古典的3バックでなく、ゾーンで守るトルシェ(ホモ)スタイルだ。後半、動かした2人が結果を出してくれた采配に関しても、この日、黄河田を投入してからリズムが悪くなり、勝てるゲームを引き分けにしてしまったコンサドーレの岡田監督より評価に値するものである。

何故かジョッピンカルにとって相性のいいトップクリエーションであるが、正統派のチームにとってゲリラ的亜流チームは組みづらいのだろう。アメリカが何故ベトコンに勝てなかったかを想像してもらいたい。

理解というものはいつも誤解の総体に過ぎない。そうして私は知と非知をより分けることをいさぎよく放棄する

今回はこちらが招待されたアウェイゲーム、おそらく近日中にホームゲームの再戦が行われる筈だ。今期通算成績は2勝5敗2引き分け、五分に持ち込むために、相手に苦手意識があるうちに急いであと3回やってもらわなくっちゃ。
 
ロイター発・共同通信

目次に戻る それとも に戻るか?