1999.5.24(017)号

百億の昼と千億の夜

5月22日から23日にかけては前人未踏の、三つのチームと20時間中に5試合のゲームが行われた。
快晴に恵まれた土曜日、白旗山競技場、気温22度。絶好のフットボール日和である、ロケハン日和ではない。今日はU-20日本代表ナイジェリアユース準優勝記念で「FCアシス」と「GTO」という二つの大学生チームを招待しての3チームによる総当たり戦である。若さが武器になる2チームに対し一回り以上の年長さを誇る醍醐味を期待したいジョッピンカル札幌では会ったが、ベテランらしさは試合前から存分に披露された。午後12時半の定刻に榎木津礼二郎監督が到着した時に集合していたメンバーは二人だけだった。 
 

大会スケジュールは急遽変更され、オープニングマッチは「FCアシス」と「GTO」との初顔合わせ、好ゲームが展開された。組織力にやや歩があると見られた「GTO」であったが前半を0-0で折り返すと終了間際に「FCアシス」がチャンスを確実にゴールに結びつけ1-0で勝利、今後の試合も僅差の勝負になることは十分に予想された。

 

第一試合が終わっても到着したジョッピンカル札幌のメンバーは9人。過去にレギュラーの大半を不幸な飛行機事故で失ったマンチェスターユナイテッドの悲劇を連想しながらも「FCアシス」から不足分を急遽レンタル。ジョッピンカル札幌は「GTO」との試合に臨んだ。

試合内容は走力と運動量の差がそのまま点差に表れた。怪我の回復が順調だった榎木津こと遠藤@ニューエッジを頭数合わせの為だけに投入したののの結局怪我の回復を遅らせるだけに至った。
「GTO」に0-3で敗れた後、「FCアシス」にも0-6で完敗。最下位で大会を終了した。
大会終了後、スクデット獲得の記念集合写真を撮る大学生チーム。記念にジョッピンカルの写真も撮らせてくれというオファーに植田@道映は「それは釣り上げた証拠としての魚拓のようなものだ」と冷静に表した。
このままでは今後のチームの士気に影響すると判断したフロントは「GTO」に急遽打診。ベテランらしい尾条際の悪さをみせた。
双方消耗した上のぬるいゲームは、極端にホーム寄りの判定にも助けられ1-1で時間切れ、今期初のPK戦にもつれ込んだ。
本職はゴールキーパーのG-PAN@モーニングがスーパーセーブを連発するもジョッピンカルは9人蹴って3本しか枠に飛ばない有様。黒星をまたひとつ確実に積み重ねるだけに終わった。
 

「大切なのは肺と心臓だ、筋肉ではない。」- エメ・ジャッケ(フランスワールドカップ優勝監督)

 

気持ちも改め11時間後は3月に対戦した建設現場監督の猛者たちからなる「フィールドオーバーシアー」との再戦。

時間は早朝午前五時、かのスコット・フィッツジェラルドがかつて「魂の時刻」と表した時間である。
しかしアメリカワールドカップ決勝も日本時間でいえば午前五時、サッカーに適さない時刻ではない。
日曜日の朝5:00-8:00、こんな時間に参加できない事情となる予定や仕事がある戯けた人間はいない。すなわちこの日の出席はサッカーに対する情熱を計る絶好の踏み絵となるのだ、と脅しておいたことが幸してメンバーはちゃんと集合した。なんの事はない、起きる事は死ぬより辛いが、朝まで起きてることには馴れっこなのだ。
ただし、炎のゲームメーカー、G-PANの姿は無かった。前日の3連戦で一人気を吐き、走りまくった上、PK戦でキーパーはもちろんキッカーまで任され消耗はピークに達した事が、非行化への弾みをつけた。昨日のゲーム終了後にも一回りも年上の光成@フラッグに「光成さんなんか少年サッカーだったら即交代でグラウンド3周ですよ」とグレて吐き捨てたのも頷ける話だ。当然、今日のゲームもフル出場を強制されることを安易に想像したG-PANは浴びるほど飲んで泥酔することで逃げたのだ。
他にも昨日負傷した何人かの痛々しい選手が居た。SEIJI@映像記録に至っては足のサポーターの下に低周波治療器をつけての参加だ。
第一試合はコーナーキックを終了間際に決められ0-1で落としたが、第二試合は先制されるもキャプテンドゥンガ斉藤のミドルシュートの零れ玉をTAINAKA@オブラ人が確実に押し込み、時間切れドローで終わった。
もう負けることに何の抵抗もないジョッピンカルフロントだが、今回の5連戦はそれなりに意味のある物ではあった。
各選手を試合毎にいままでとは違ったポジションで試して、その適正を確認していたのだ。この貴重なデーターが今後大きな役に立つことを今後我々は知ることになるだろう。
この件についてジョッピンカルフロントは「いつか白旗山競技場を満員の観衆で埋めてみたい」と炎の抱負を述べた。ただし白旗山に観客席は無い。
 
ロイター発・共同通信

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