99.3.15(014)号

主はただ一人(謎)
1999年,JPC札幌白黒発信
1999年のオフシーズンには2試合の親善試合が行われた。
1/16日は、JPC札幌 vs uhbトップクリエーションとの業界親善マッチ、昨年8/29日以来の再戦である。
前回の試合では立ち上がりにお互いオウンゴールを分け合うといったハイブロウな内容だっただけに今回も好ゲームが期待された。
5〜6人の控え選手を用意したuhbに対して、交代人数無制限という草サッカーならではのルールをマリーシアに利用、圧倒的な層の厚さの違いで膠着したゲームも時間が経つにつれスペースをJPCが支配、一時は追いつかれながらも最終ハーフのゴールラッシュで、7-4と白星スタートに成功した。

続いて3/14日(WhiteDay)対するは、フィールドオーバーシアー。建設会社勤務の若手工事現場監督を中心とした経験者チーム。放送、映像、CM監督を中心としたJPCとしては初の監督ダービーとなった。理詰めは得意な監督チームJPCも土の現場の上では圧倒的に不利なのは明白であり、立ち上がりから技術、体力、運動量の差を見せつけられる事になる。

集合メンバーは当日蓋を開けなければ解らないJPCにとって、この日はなんとゴールキーパー不在。やむなくゲームメーカーであるG-PANをGKにしてのキックオフ。G-PANの好守で立ち上がりの失点は凌いだものの、香港で治療を終えたはずのNANBUの再び足首の爆弾が再発、不安が過ぎった。この日中盤に入ったJUNIORのロングシュートが、当たり損ないで鮮やかなループを描くも相手GKに間一発、かき出され、かち当たりの(ただし枠外)NIKIのロングシュートに期待するだけの寒い内容だった。
結局、0-2で1stハーフを折り返したところで満を持してG-PANを投入。GKにはNIKIをあてがいゴールキックで好きなだけロングシュートを狙わせることにした。形勢はやや好転、G-PANの単独突破からBOYANのゴールで一矢報いるも、現場監督たちの怒濤の攻め。一方、壊れかけたNANBUの穴を埋めるべく投入したにせNANBUの連続ゴール、最後はガラスの10番ENDが2試合連続となるゴールを決めて非凡な運の強さをアピールしたが、そこまでで累計4-6で試合終了した。
 
負けはしたのだがJPCフロントに落胆の色はない。札幌の弱そうな草サッカーチームを一生懸命さがしてきて試合をお願いしてきたお笑い草サッカーチームジョッピンカル札幌だが、今回無謀ともいえるフィールドオーバーシアーのような若くて優秀なチームと、まがりなりにもゲームらしい内容まで持ってこれたのも日々精進とイングランドから手配した祈祷のおかげである。これで一層の対戦相手の広がりが期待できるというものだ。新JPCオーナー榎木津礼二郎は、今年はホームアンドアウェイの遠征(ただし道内)試合も予定されているのだ、と我々に洩らした。
 
試合終了後、年度末納期の厳しい仕事中の時間を割いて参加した炎のDF、デッコパチ@映像記録は「今日は全得点に絡んでしまいましたよ、ただし自軍の」と寂しそうに語った。監督ダービーは工事現場監督が勝利した、今後JPCメンバーのディレクターたちを監督と呼ぶことはもうできないのだ。
 
ロイター発・共同通信

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