98.12.11(013)号

第一回、98年度
ジョッピンカル・アウォーズ
98年の総決算として、12/11から12日にかけて、第一回ジョッピンカル・アウォーズが札幌市内某ホテルで開催された。
この祝典への参加者はメンバーの家族、ご子息はもちろん、生みの親まで参列するといった「家族を大切に」をモットーとするジョッピンカルならではの風景である。またこの日のために特別に札幌市内からは「ジョッピン・バス」がチャーターされメンバー達を次々に会場に迎えた。
アウォーズはほぼ定刻通りに北岡晋一郎の司会で幕を開けた。まずは遠藤フロント代表(前監督)の音頭により高らかな乾杯の後、厳粛なるジョッピンカル国歌斉唱の予定だったが、音響機材に不備があり、あっさり見送られた。
今季の成績発表に続いて各賞の発表、まず98年度MVPは大方の予想を裏切らずキャプテン、ドゥンガ斉藤が受賞した。プレイだけでなく激しいコーチングと炎のアドバイスや3級審判としての貢献も賞賛に値するものではあるが会場からは、当たり前すぎてつまんねえぞと罵声も飛んだ。
続いて得点王。これはFIFA公認の公式戦だけの記録を総合した結果、BOYANが初代得点王の座を射止めた。得点数は5点。以外と少ないではないかと罵声も飛んだのだが、考えても見たまえ、98年ワールドカップで惜しくも得点王を逃したバティストゥータのゴール数も同じく5点、すなわちBOYAN=バティという方程式が成立するではないか。
新人賞は炎のディフェンダーデコッパチに与えられ、以上3名にはサッカーショップ・プレイヤーズの協賛により金券はじめ豪華景品が惜しみなく与えられた。
最後の受賞者は最多回数出席選手。サッカー界において、もっとも評価されるべき功労賞である。受賞者は、光成@フラッグ。彼には今回最高の商品といえる「ジョッピンカル国家CD」(非売品)が与えられた。
授賞式の後は祝電披露。川淵チェアマンやジョッピン・ドールズの面々から届いた、デラックス・キティちゃん電報が披露され、終盤は現金ビンゴ大会。賞金1万6千円を射止めたのは、石井@モーニングの実のであったが、なんと賞金をその場で全額ジョッピンカルに寄付するという、この子供にして、この母ありき。涙のフィナーレで会場は炎のクライマックスへと浄化した。
アウォーズ終了後もホテル6階全部と7階1部をジョッピンカル国民が占拠、おそらく来年、このホテルは貸してもらえないくらいの炎の宴は文字通り8時の朝食の時間まで続けられた。
(関連記事あり)
 

ロイタ一発・共同通信

 

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横浜フリューゲルスしかり…
ジョッピンカル・アウォーズが明けた12/14ジョッピンカルフロントによる会計清算会が厳粛に行われた。
本来、新監督に納会の手配を期待してフロントに退いたものの、しびれを切らした者たちのために何人かの有志に手配を依頼、それぞれがそれぞれに動いたため全体の把握が遅れ、致命的な赤字を負った。
なんと、この日の時点で約9万円の赤字が出たのだ!
ジョッピンカル監督のもっとも重大な任務「赤字金額の立て替え」も、9万円ともなると熊沢監督代行には無理な話であることは業界人なら明白な事実である。
フロントの動きは迅速だった。まず19億かけて建造されたジョッピンドームを札幌市に売却。1月練習場予約の為に確保していた会費と石井@母が寄付してくれた貴重な資金を充当し、工面したお陰で赤字金額は5万644円にまでに押さえることができた。
しかし、この先、参加メンバーだけの会費だけでまかなって行くことは困難である。クラブチームの目的は存続が第一である。いま試される大地北海道、赤字金額を単純にメンバー頭割りする事は愚かなことである、何度でも同じ事が繰り返されるからだ。経済的自立なくしては横浜フリューゲルスの二の舞になるのだ。
現在の対応策案(12/14時点)
年間維持費が20億掛かっていたジョッピンカル札幌だが来年は10億程度にせざるは得ないだろう、当然、大幅なリストラが行われることは必死である。これに対してフロントは「それにしても露天風呂は熱すぎた、150度はあったろう」を口を濁した。
 
ロイター発・共同通信

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