2003.6.6(065号)
『サッカーそのものは存在しない。存在するものはサッカーに関わる人だけだ』

2003年のフットボール - 訳:ムラカミハルキ

フットボール観戦ガイドブック「ノー・サスペンド」の序文はこのように語っている。

「あなたがジョッピンカルで得るものは殆んど何もない。
前田森林公園の万年水たまりで泥にまみれた靴、吹きっさらしの米里サッカー場の砂埃に数時間吹きつけられて真っ赤になった鼻と、その鼻も噛めそうにないぎんぞーの外れ馬券だけだ。
失うものは実にいっぱいある。
歴代首相の銅像が全部建てられるくらいの500円会費と(もっともあなたにマーガレット・サッチャーの銅像を建てる気があればのことだが)、取り返すことのできぬ貴重な時間だ。

あなたがジョッピンカルのベンチで不毛な消耗をつづけているあいだに、あるものはプルーストを読みつづけているかもしれない。またあるものはカウチ・ベッドの上でガール・フレンドと『モンティ・パイソン』を観ながらヘビー・ペッティングに励んでいるかもしれない。そして彼らは時代を洞察する作家となり、あるいは幸せな夫婦となるかもしれない。

しかしジョッピンカルはあなたを何処にも連れて行きはしない。
網膜にうつるのは右から左へ転がるボールだけだ。転がる、転がる、転がる‥‥‥、まるでフットボールそのものがある 。
永劫性を目指しているようにさえ思える。

永劫性について我々は多くを知らぬ。しかしその影を推し測ることはできる。
ジョッピンカルの目的は、自己実現にあるのではなく、自己変革にある。
エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。

もしあなたが自己表現やエゴの拡大や分析を目指せば、あなたは3000円会費のはずのボリスバーで容赦なき報復を受けるだろう。

良きゲームを祈る(ハヴ・ア・ナイス・ゲーム)」

-1-

本家ジョッピンカルメンバーが再び集結した。

いや、今はもう本家と呼ぶには彼らは充分にくたびれすぎていた。
そこで僕は、彼らに「レアル」の称号を与えてみた。
だいいち「本家」なんて日本の伝統芸能みたいでちっともフットボールらしくないじゃないか。
だから「レアル」
白い凡人。
レアル、と僕はもう一度、心の中で繰り返した。

どこか素敵な響きだった。

-2-

話を戻そう。

これは2003年6月1日の午前9時から2003年6月1日の午後1時くらいまでの話だ。

ちょうど一年くらい前にここで、ワールドカップがあったことなんて、いつかきっと忘れるだろう。でも、その日はあの時(イタリア-エクアドル戦)のような激しい雨が降っていた。

われわれにとってのバルサ-レアル戦に相当するホームレス対レアルじょっぴん戦。
それでもレアルメンバーの何人がこの雨の中集まるというんだい?
そこで、4人の現じょっぴんメンバーを外注したっていうわけさ。

それでも少なくとも僕はBdのために新しいポジションを想像しなければならなかった。
ボランチと最終ラインの間。
いいかい?前にいるキャプテンドゥンガ斉藤とタケを追い越しちゃいけない。黙ってここに居るんだ。
それでもあがらなくちゃいけないタイミングがある。
その時はドゥンガ斉藤が大きな声で教えてくれる。
「走れ!ペス!」

時計の動いている間はとにかく走り続けるんだ。
おいらの言っていることはわかるかい?
走るんだ。走り続けるんだ。
何故走るかなんて考えちゃいけない。
意味なんてことは考えちゃいけない。
意味なんてもともとないんだ。

-3-

4バックの左サイドにはタッカーが生き残った。

良いタッカーが吐いて娘に迎えに来てもらったタッカーだけだとしても、やはり生き延びねばならなかった。
何のために?
伝説を石の壁に向かって語り伝えるために?
まさか。

-4-

これで試合についての詳細は省く。

なぜなら、1999年7月4日のシドニーオリンピック1次予選、日本代表対フィリピン代表戦で平瀬が自分にとっての通算10点目、チームにとってもその日10点目になるゴールを奪ったとき、フィリピンのパランパンがピッチのどこでどう膝をついたかなんてだれも覚えてやしないだろう?

それでも僕はローリーの2ゴールについて記さなければならない。
特に決勝点となった2点目は右サイドペナルティエリア外の角度のないところからのミドルシュート。
もっとも彼に言わせればクロスのつもりだったらしい。
巨体がトップスピードに乗ってしまっては身体をねじ曲げる事はそれが精一杯なのだ。

「曽田、けっこううまかったですよ」と僕は言ってみたが誰も返事をしなかった。まるで深い竪穴に小石を投げ込んだみたいだった。

「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、 その機能を充分に発揮していくことができる、そういったものである。」

「誰だい、それは?」

「忘れたね。本当だと思う?」

「嘘だ。」

「何故?」

「相川さんからのGKで、前方に広大なスペースがあるとする。 スペースに走り込んでもボールは届かない。どうすればいい?」

-5-

「最近のジョッピンカルはみんな礼儀正しくなったんだ」と僕は島本さんに説明した。

「僕が選手の頃はこんなじゃなかった。
ジョッピンカルといえば、みんなクスリをやっていて、半分くらいが性格破綻者だった。でもときどきひっくりかえるくらい凄いプレーが見れた。
僕はしばしば手稲の下水処理場に行ってジョッピンカルを見ていた。そのひっくりかえるような経験を求めてだよ」
「そういう人たちが好きなのね」
「たぶんね」と僕は言った。
「まずまずの素晴らしいものを求めてジョッピンカルにのめり込む人間はいない。
九の外れがあっても、一の至高体験を求めて人はジョッピンカルに向かって行くんだ。
そしてそれが世界を動かしていくんだ。それが芸術というものじゃないかと僕は思う」

僕は膝の上にある自分の両手をまたじっと眺めた。それから顔を上げて島本さんを見た。島本さんはジョッピンカルの話の続きを待っていた。

「でも今は少し違う。今では僕は興行主だからね。
僕がやっているのは興業で相手チームに楽しんでもらうことだよ。
僕はここでべつに芸術を支援しているわけではないんだ。好むと好まざるとにかかわらず、この場所ではそういうものは求められていないんだ。
それもそれでまた仕方ないだろう。世界じゅうがまろりんたんで満ちていなくてはならないというわけじゃないんだ」

-6-

「結局、ジョッピンカルって良くも悪くもドーナツ的なのよね。カントナはきっとドーナツのことなんて一度も考えなかったんじゃないかしら」
そうだな、カントナはたぶんドーナツのことなんて考えもしなかっただろう。
でも今はもう、二十一世紀なのだ。
今頃カントナを持ち出されても困る。

「完璧な選手などといったものは存在しない。完璧なサッカーが存在しないようにね。」




友よ、勝ち越しはあまりにも遠い。



やれやれ。



じょっぴん共同通信

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