2001.8.22(055)号
希望を抱き、恐怖に震え、畏怖にうたれる。究極の歓喜があり、耐えがたい絶望がある。サッカーという冒険には、人間のあらゆる感情が凝縮され、すべての営みが投影される。だから、刻まれた記憶は決して色褪せない。

叶えられた祈り- Answered Prayers.リターンマッチ・ゴイスFC


1998年9月26日。

当時の無念を書き連ねた古文書。翻訳原稿はこちら。
参考:ゴイス側の当時の記事(文責ヤスヨン)

人々が、ちあきなおみの4つのお願いが何だったかを忘れても、ジョッピンカルがこの日を忘れることはない。
ジョッピンカル札幌が、Air-Gゴイスサッカーチーム屈辱的大敗した日である。対戦成績は0-4、0-4の二連敗。




両チームの命運はあの日を境にはっきり分かれた。
さらなるメンバーの充実をはかり、ライラックリーグへの登録、と草サッカーチームの王道を驀進するゴイスFC。
一方、新しい教科書には日韓併合以来の屈辱と記され、日陰を歩き、水上生活者となり、時にレッサーパンダ帽で徘徊し、ノースウェーブだけを聴きながら、暗黒リーグを彷徨い続けてきたジョッピンカル。

とはいえジョッピンカルフロントはリターンマッチのタイミングを慎重に図ってきた。まず、第一に移籍による強化。
1999年、ゴイスの内部からの動揺を図るべく、ヤスヨン、森井と元祖メンバーをジョッピンカルに電撃移籍。しかし、ゴイスFC、微動だに影響は無し。

2000年、新チームジョッピンカル新札幌を設立。ジョッピンカルのライバルチーム、TERRA FCから中心選手、No77:タケを移籍させるなど、来る者拒まない既成概念を越えた新チーム発足に確かな手応えを感じていたのだ。しかし、つい勢い余って、ゴイスFCキャプテン、アベジまで入団させてしまう。
想像しがたい人は、赤穂四十七士につい吉良上野介まで入ってしまったと考えて欲しい。



あれから幾余年。2001年8月18日は、ヴァカンスを終えて再びアメリカの大学に戻るジョッピンカル新札幌No:9ソウの壮行試合。記念に一度、まともで(これまでのライバルチームのみなさん、すんません)強いチームに一回チャレンジしてみようという事で、伝説のクラブチームにオファーを出した。

そういう訳で、この三年ぶりのゴイス対ジョッピンカル新札幌のリターンマッチ、大方の予想に反して和やかなムードで始まった。
スタンドに詰めかけた当時を忍ぶ極右メンバーが発煙筒を炊くこともない。なにしろ、ジョッピンカル新札幌の先発メンバーに三年前ピッチに立っていたメンバーはひとりも居ない。唯一の元祖メンバーで先発したGK相川でさえまだ生まれてない。
一方、ゴイスFCはミスターこと鈴井貴之を先発FWに起用する思い出サービス仕様で、第一試合、キックオフ。

ゲーム序盤から圧倒的にボールを支配するゴイスFC。スタンドで見守るじょっぴん人からも感嘆の息が洩れる。
上手い!きちんと味方に向かってパスを出している!ヘディングで眼をつぶってない!おお、サイドチェンジのボールが向こう側までノーバウンドで届いている!まるで本物のサッカーみたいだ!

栄えある先発は、ジョッピンカル・フル代表。しかもフォワードをNo0:ジャンルカ&No9:ソウのこれまでありそうでなかった中野家代々2トップで望んだ。
賢明のディフェンスとGK相川の好セーブ、そしてなによりもゴイスFCが積極的に枠を外してくれる事でなんとか得点を許さない。
いつもはフィールドを我がもの顔で支配でき、5分くらいボールキープしながら10分以上うるさいNo77:タケでさえ、なかなか前を向けない。なによりもあのNo:15エビラが、今日に限ってはスナック菓子を食いながらのプレイを自重しているくらいなのだ。100m9秒を切る陸上部、ジョッピンカルU-23のポケモン・リョータもサイドを駆け上がるスペースを許してくれない。

しかし、意外な隙がゴイスにはあった。
おそらく不正に仕事を抜けてきたのだろう、ゴイス9番は電話が鳴るたび、ピッチを飛び出しきちんと応対を始めるのだ。
線審に並んで位置取りをした係りの者が着信を知らせると、たとえどんな局面でもピッチを飛び出し、息を落ち着かせてきちんと応対している。なにもドリブルをしながら業務をこなしているわけでもないが、なかなか真似のできない所業は感服に値する。
ジョッピンカルベンチはすぐさま逆探知、ゴイス9番に電話を繋ぎまくる指令を出した。その間隙をぬってNo77:タケのペナルティエリア外からのミドルシュートが珍しく枠へ!なんとジョッピンカル先制!
その後もソウが果敢な単独突破で追加点、圧倒的劣性のジョッピンカルが2-0のリードで前半を終えた。
想像しがたい人はアトランタ五輪を掛けた日本代表、前園オーバードライブのサウジアラビア戦を想像して欲しい。

札幌草サッカー界随一の選手層を誇るジョッピングループだけあって、後半メンバーは当日集まった残りの選手で総入れ替えするのがこれまでの常であったが、元ベルディ加藤久の名言は、「いい時は、ちょすな」後半もこのメンバーで行こう!と檄を飛ばす。とたんに、No0:ジャンルカおやじが私はもう駄目だと親子断絶宣言。
仕方なくツートップの片割れに、自らをファンタジスタと称して止まないNo8:ロベルトを投入。後半を迎えた。
このファンタジスタ、流し込むだけの決定期であっても果敢にループシュートを狙ったり(そして入らない)、シュートは一度バーを叩いてから入れるもの(主に叩くだけ)とか、いつもファンタジスタという名の芸人の宿命を背負ってピッチに入る。

今日もロベルト、ゴール前ドフリー、きちんと止めてきちんと流し込めば入る場面で、果敢にジャンピングボレーに挑戦して空振りしてる間に、ゴイスに2点を叩き込まれ、あれよあれよと同点。
しかし、この日、キャプテンマークをつけたソウがオーバードライブ。ポストになって球を受けるやいなや反転して一対一の勝負、普段チームメイトのアベジをぶっちぎり追加点。
試合終了間近には、再びロベルトが決定期をファンタスティックに弾かれたところを、アウトサイドの暴走野郎、北斗建材立石が押し込み、なんと奇跡の4-2でホイッスルが吹かれた。

この瞬間、会場となったモエレ沼公園陸上競技場では季節はずれのトンボが異常発生した。

試合終了のホイッスルがなった瞬間、感極まって悦びを全身で表現するイレブン。

この勝利でもう充分、満足したジョッピンカルベンチは続く第二試合、中心メンバーを1969に変更。
観たまえ、話が違うと言わんばかりにつまらなそうにベンチで寝そべるゴイス監督ミスターの姿を。
ここは、3バックをリョータ、Bd、ナカタの160cmプッチモニサイズにして制空権を無料開放するのだ。
圧倒的に攻めるゴイスFCであったが暑さと疲労と電話のため、決定期のシュートは積極的に枠を外れる、まあ、それでもあっさり3点は奪われたが。
後半、再びソウ-ロベルトの2トップに戻し、大半のメンバーをチェンジ。選手層の厚さから中1セット休んだジョッピンカルフル代表メンバーに比べ、ゴイスFCは明らかに疲労。
一点差に詰め寄る追い上げにまさかと感じさせたころ、GKの弾いたボールをロベルトが振り向きざまに泥臭く押し込み、同点。ベンチでは、このプレイに、いままで自らをファンタジスタと称していたおかげで騙されていたのだが、本当はゴン中山のような泥臭い奴だったんじゃないのか、と気がつき、以降、彼をロベルト隊長、と呼ぶことで満場一致。
最後はソウのこの日3点目となるゴールで逆転。
三年越しのリターンマッチは奇跡の二連勝で終わったのだ。

この日、異常発生したトンボはさらに増え、もはや空を真っ黒に覆うほどであった。
間違いなく今期のベスト・マッチ。マン・オブ・ザ・マッチにはもちろん3ゴールをあげたソウ。モースト・インプレッション賞にはゴイス9番が選ばれた。

試合終了後、ジョッピンカルベンチにやってきたアベジ率いるゴイスイレブンはすいませんでしたと気持ちよくエールの交換をした。いや、両国の歴史は始まったばかりなのだ。これで通算成績は二勝二敗、ただし次はまた三年後な。

それでもひとつ釘をさしておこう。じょっぴん戦士たちよ。
今回、勝てたからといって自惚れてはならない。
今日は所詮、親善試合。今回のゴイスは本気だったとは限らない、アベジ以外は。ワールドカップ本戦では今日以上に激しくチャージしてくるはずだ。
よかった。W杯に出てなくて。

圧倒的に攻められている側が勝利する事もあるフットボールという競技を、アメリカ人は永遠に理解できないだろう。

ロイタ一発・共同通信

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