2000.5.2(041)号
希望を抱き、恐怖に震え、畏怖にうたれる。究極の歓喜があり、耐えがたい絶望がある。サッカーという冒険には、人間のあらゆる感情が凝縮され、すべての営みが投影される。だから、刻まれた記憶は決して色褪せない。

世界へ捧ぐ - ウーゴ・フェルナンデス前コンサドーレ監督来日

    もしワールドカップフランス大会、アルゼンチン対日本戦の事を忘れる日が来ても、ゴッサムシティのフットボールファンには一生忘れることはできない試合がある。
    1997年5月25日、厚別競技場、コンサドーレ札幌対川崎フロンターレ戦。
    2点を先制されながらマラドーナのフリーキックで追いあげるも、後半終了間際に決定的な三点目を献上。3-1と突き放され残り2分。走る、跳ぶ、蹴る、叫ぶ、そして祈る。
    神を信じる。

ぶえなすたるです!ファミリーへの愛はあるか?

ジョッピンカル札幌の母体組織は札幌の映像制作関連会社からなるものである。
祭りがあれば街から街へ。市町村の記録映像においては他の追従を許さない北海道映像記録。
そこでディレクターを本業にするデコッパチが2002年ワールドカップ・コリアジャパンのキャンプ地としての栗山町への誘致のビデオを眼から血を流しながら制作。
同時にどうプロモーションしていこうか、としたところ、栗山町役場の広報部門に在籍中のトーマス石川(元コンサドーレ札幌の専属通訳)氏が、コンサドーレ前監督ウーゴ・フェルナンデスに打診。旧友のためにメキシコ、ウルグアイはもちろん南米サッカー協会への口利きに一役買ってくれることになった、というところから今回は始まった。

そして4月最終週に急遽来日。
「だったら、是非、
ついでにジョッピンカルのコーチもお願いしてくれよ。」という軽いオファーがあれよあれよと実現の運びとなったのだ。ただし、コーチとしてではなく自分も一緒にプレイをしたいという申し出だった。

4月29日午後1時、ジョッピンドーム。
フィールド外では紳士との誉れ高いウーゴ・フェルナンデス氏は通訳のトーマス石川氏に連れられて、15分前に会場に姿を現した。しかし流石は時間にルーズで定評のあるジョッピンカル、
誰もいやしねえ。
唯一、お年寄りに弱い榎木津礼二郎ジョッピンカル代表だけが、スペイン語の日常会話程度なら大丈夫だと豪語する遠藤みさを連れだって応対に当たったが、ぱえりあ?全然駄目。大歓迎を期待していたわけでもないとはいえ、少し
むっとされてしまった。しかし、ドレッシングルームへ案内した榎木津はそこで、用意しておいた27.5センチのスパイクをフェルナンデス監督にプレゼントした。機嫌は直った、ぐらしゃす。

初級講座のスペイン語を全弾撃ちつくし、日本人特有の笑顔攻撃で応戦するヤスヨン。
スペイン語学校中退のヤスヨンを、駅前留学から
急遽帰国させ、メンバーやそれを上回るギャラリーが集まり出したところで、挨拶。

「私たちは勝利を目的として結成されたサッカーチームではない。フットボールを愛するものたちの文化クラブだ。技術、戦術的に劣っていても大きなお世話だ。ぐらしゃす。」と榎木津。

「今日は愛する日本のみなさんとフレンドシップを深めにやってきた。一緒に楽しみたい。また現在私はメキシコリーグで監督をやっているが、ジョッピンカルの選手も何人か連れて帰りたい。ぐらしゃす。」とフェルナンデス。
- 前半訳、トーマス石川。後半ヤスヨン。

フェルナンデス監督やトーマス石川も含めた連合チームジョッピンカル新札幌とジョッピンカル札幌とのエキシビジョンマッチが始まった。

決して他では見ることができないフェルナンデス監督の柔らかいボールタッチやフェイントはギャラリーから感嘆の声を呼び寄せ、ジョッピンカル札幌のディフェンダーを何人もゴボウ抜きした。(注、念のために言っておくがジョッピンカル札幌のディフェンダーをゴボウ抜きする事にさほど難易度はない。
しかし果敢にゴールを狙う闘将フェルナンデスのシュートは、ことごとく
有珠山帰りのカメラマン、久堀@映像記録にはじかれた。
(参考ムービー1(MPEG544k)もしくは、ムービー2(MPEG944k)のどちらか、外れあり)

しかもフィールドの中では下克上。削ってやれ!と罵声が飛び交う中、おなじみ光成@フラッグの反則ギリギリをはるかに越えたシャツを引っ張り回すマンマークにフェルナンデスも「ファール!ファール!」と激しく抗議したが、スペイン語は解りませんね、と受け入られなかったのだ。

結局、
くそじじいの割には、ぶっ通しで走り回り、その後も約3時間、さまざまな人たちとコミュニケーションを楽しんだ。別れ際に榎木津礼二郎ジョッピンカル代表は、フェルナンデス監督に頼んだ。
「かつての鹿島アントラーズにとってジーコが総監督であったように、
ジョッピンカルの総監督になってくれませんか?」

フェルナンデス監督は紳士らしくにっこり笑って右手をさしのべた。「私にできることがあるのならば是非、協力させてください。私たちはもうファミリーだ。それから、おしのさん。ヒロタのシュークリームをお土産にくれたのですが、ここは普通、白い恋人じゃないのですか?ぐらしゃす」
- 前半訳、トーマス石川。後半ヤスヨン。

ここにジョッピンカル札幌創設3年目にして草サッカーレベルではおそらく史上最強の総監督を迎えることになったのだ。同時に栗山在住の通訳トーマス石川氏のジョッピンカル新札幌入団も決定した。

作戦ボードにサインをするフェルナンデス氏。「あ、そこはジョン・カビラ川平慈英のサインがあるのに」と、言えないで困る榎木津。

現在、メキシコリーグで監督を営むウーゴ・フェルナンデス氏だが、メキシコでは週に2回、日本語学校に通っているそうだ。決して光成の暴言に対抗するためではない、いつか必ずまた日本で監督として姿を見せてくれることをファミリーとして切に望んでいる。そしてもう一度、私たちに見せて欲しい。奇跡は何度でも起こし得ることを。

私がまだ若く傷つきやすい頃、世界の共通語は音楽だと大きな勘違いをしていた。
そして今日、あらためて、それを再認識した。

今度は解雇寸前の日本代表監督フィリプ・トルシエ氏を招聘したい。

あでぃおす!

ロイタ一発・共同通信

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